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※当エントリーは東京都北区にある都営桐ヶ丘団地についてレポートしているエントリーの第2回目となります。
このエントリーの前に『桐ヶ丘レポート【1】 序 都営桐ヶ丘団地の成り立ちとその歴史背景』があります。




●都営桐ヶ丘団地の魅力を書き残す前に

今回、このレポートを作成するにあたり、桐ヶ丘団地みどころマップを作成した。
マップを併せてご覧いただくとよりいっそう疑似体験度が高まると思う。
(実際の散策の際にも役立つよう、歩き移動に適した縮尺にしてある。使いやすい歩き移動用地図は散歩マニア必携だ!)


都営桐ヶ丘団地みどころマップ低解像度版


なお、当ブログで使用しているfC2ブログのサービスでは1ファイル500kb以上のファイルがアップできないため、上の画像はそれに収まるように作成した『見どころマップ低解像度版』となる。高解像度版は別途アップローダーで外部にアップしたので実際の散策用にプリントアウトしたり、細かな文字まで追いかけたい場合には高解像度版をご利用いただきたい。


■桐ヶ丘団地みどころマップ高解像度版外部アップローダーページへのリンク
http://aliceuploader.ddo.jp/up5/dl.cgi?30
※上記URLページ内にある「ダウンロード」ボタンをクリックしていただくことでzip圧縮された高解像度マップのpngファイルがダウンロードできます。ファイルサイズは1.64M程度です。


さて、桐ヶ丘団地の魅力を書いていく前にいくつか留意点を記そう。

まずは団地の地形的な特徴についてだ。
これまでにも書いているように桐ヶ丘団地はとても広い敷地面積をもっている。下の3区域色分けマップを見ていただくと分かりやすいが、その広さ故、居住棟はエリア分けされていてそれぞれ北エリアは『N地区』、西エリアは『W地区』、東エリアは『E地区』と3つの区画に分けられている。それぞれの居住棟の頭にはそのアルファベットが付けられ、例えば『N32号館』のように呼ばれるのである。


桐ヶ丘3区域分けマップ


なお、この広い団地ではなんとW地区とN地区の最寄り駅が異なる。例えば桐ヶ丘中央商店街に行く場合は都営三田線の志村坂上駅が最寄りとなるし、N地区にある給水塔を見たいのならば最寄り駅はJR赤羽駅である。目的に応じてアプローチを変えるのが桐ヶ丘団地を攻める際のかしこい選択だ。

もうひとつ留意点となるが、桐ヶ丘団地では現在『桐ヶ丘団地再生計画』が進行中である。
この再生計画は1996年から行われており、4年毎を1期間とし、1期 1996年~2000年、2期 2000年~2004年、3期 2004年~2008年、4期 2008年~2012年、5期 2012年~2016年、6期 2016年~2020年まで計画されている全24年にも及ぶ桐ヶ丘団地再生の工事である。


※WEB上を巡ったところ、東京都環境局の『東京都環境影響評価条例ホームページ』内にこの再生計画関連のpdfファイルを見つけた。この事業が環境に与える影響を予想したものだが、この中に再生計画概要と再生計画完了後の地図が記載されたpdfを見つけることができた。平成7年発表のものなのでこの概要がどこまで実行されるかは不明。都知事が青島幸男氏時代のものだった。

■東京都環境影響評価条例ホームページ内 環境影響評価書案(桐ヶ丘立替え事業pdf直リンク)
http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/assess/pdf/150_an.pdf


この計画によって、昭和30年代に建造されたW区域、E区域の建物はどんどん取り壊されて新たな居住棟に生まれ変わっている。特にW区域の建て替えはどんどん進行しており、この再生計画が完了する2020年までには昭和の時代に建てられた建物はほぼ無くなってしまうと思われる。残存するW36号館の周辺で住民の方に話を伺ったところ、「あと2年したら新しい棟に移るのよ」と教えてくれた。なお、上にURLを貼ったpdfの中には旧来の桐ヶ丘アパート住棟のうち60棟を建て替えるとの記述がある。2010年7月現在、取り壊されてしまった住棟はN区域0棟、W区域25棟、E区域22棟の計47棟である。つまり桐ヶ丘再生計画が完了する2020年までにあと13棟が取り壊されるということだ。
※取り壊されてしまった住棟数については私が実際に桐ヶ丘団地を歩いた際にカウントしたもので、公式発表などの正確な数字を利用したものではありません。多少の誤差はあるとお考えください。


私がこの桐ヶ丘レポートをまとめようと考えたきっかけも、この再生工事によって高度経済成長期を経験してきた桐ヶ丘団地の姿がどんどん消えてしまっており、その時代を通過してきた都営住宅建築物の姿を残しておきたいという気持ちが強かったからである。
このように日々桐ヶ丘団地の景観は変化していっている。当レポートの内容も2010年7月時点のものと理解していただきたい。

それでは以下にいくつか魅力を書いていこう。
まずは都営桐ヶ丘団地の代名詞とも言ってよい給水塔から始めたい。




● 魅力1 給水塔とそれを含めて作り出される景観

まず桐ヶ丘アパート一つ目の魅力として給水塔をあげよう。
桐ヶ丘団地の給水塔は昭和30年代前半に作られたものであるが、その時代に作られた中層建築アパートではよく見られたものだ。現在でも給水塔の残る団地は多数あるが、1つの団地に2本が残存する団地は少ない。
給水塔は桐ヶ丘団地の2大ランドマークだ。


1つはN23号館の北に位置するもの。 (下画像参照)


N23号館北の給水塔


もう1つはE47号館の南西に位置するもの。 (下画像参照)


E47号館南西の給水塔


これらを団地建造物に被せて、あるいは並べてアングルを作ることでとても魅力的な風景を切り取ることができる。以下は給水塔と桐ヶ丘アパート居住棟を写しこんだ画像となる。


◆ N区域給水塔

N23号館と給水塔


手前からN19、N22、給水塔


N21号館と給水塔



◆ E区域給水塔

E区域給水塔と高層棟E47


遠方の給水塔も画になる


夕日と桐ヶ丘団地給水塔


万人に共通する感覚では無いとは思うが、『タワー(給水塔)』と『都営集合住宅建築』の組み合わせは高度経済成長期の先進的な居住スタイルがより強調されるようで個人的にはとても楽しめる組み合わせである。

なお、E47号館近くのほうの塗装の新しい給水塔だが、こちらの塔にはあまり知られていないエピソードがある。
この給水塔の最上部を見るとなんだか展望台のような造りになっている。


E区域給水塔の上部


よく見ると板(もしくはネット?)のようなもので窓が塞がれていて展望台にはなっていない。
初めてこの給水塔を見たときには「展望台があるのか!」と入り口を探し、実際には登ることができないと知ってガッカリしたのを覚えている。
ではこの部分は何なのだろうか。
自分も長い間この形状になっている理由は知らず、「もしかしたら昭和40年代頃には上に行けたのかな?」と勝手に想像を膨らましていた。しかしそうではないと最近になって知った。北区中央図書館にて借りてきた『桐ヶ丘三十五年史』という記念誌に答えがあった。この中に都営住宅公社(現東京都住宅供給公社)の職員が寄稿しており、そこにはこの展望台のように見える部分についての記述があった。
実はやはりこの塔の上部を展望台にする計画があったそうなのだ。理由は2つ。1つには日本で最初の巨大団地として成長する姿を見にやって来る全国各地からの見学者や海外からの視察団にこの展望台を使って桐ヶ丘団地を見てもらおうという理由から。もう1つには給水タンクのメンテナンスが安全に行えるようにという理由からだったそうだ。
しかし、この計画は当時の上司に工費のムダ遣いだと大変叱られてしまい、泣く泣く現在のデザインに変更したのだそうだ。確かに後から建築されたN区域のほうの給水塔にはこんな窓のような作りはない。
(ただし、現在の展望台風の部分の形状も、当初思い描いていた『展望台』とは全く違っているそうだ。)

この展望窓については自分もかねてより気になっていた点だったが、このようにして答えを知ることができモヤモヤがひとつ解消された。

なお、W区域にある案内板を見ると、上記2本の給水塔以外にもう1本の給水塔を認めることができる。

桐ヶ丘W区域、E区域案内図     過去に存在したと思われる幻の給水塔

E24号館の北側に給水塔の文字があるが、現在その場所に給水塔は無い。E号館のその周辺にあったそれまでの建造物は桐ヶ丘団地再生計画によって取り壊され、新居住棟建設が予定されている。(※6期、全24年の桐ヶ丘団地再生計画は1996年に開始されており、第1期の解体工事もこの時から始まっている。もしかしたらそのタイミングでここにあった給水塔が解体されたのではという仮説は成り立つ。私が初めて桐ヶ丘団地を訪れたのは2001年だが、その時には団地の中に給水塔は2本しかなかったように記憶している。)
また、これまで確認した資料の中には特にこの3本目の給水塔についての記述は無く、いつごろ建築され、いつごろ解体されたのか、もしくは建設自体が行われていないのかなど詳細は不明のままである。




● 魅力2 桐ヶ丘中央商店街

桐ヶ丘中央商店街とは、E28B号館とE28A号館にはさまれたスペースにある団地唯一の商店街だ。(団地内には他にも酒屋や生協はあるが商店街はここだけ。)


桐ヶ丘中央商店街はこの位置


昭和30年代に作られ、昭和40年代後半から昭和50年代前半にかけて全盛を誇った商店街だ。
現在は桐ヶ丘団地内に子供(若年層)の絶対数が少なくなってしまったことに加え、高齢者が増えてしまったことで利用者はまばらになってしまっている。そのため最盛期当時の商店街設備が今でも使われており、時間の流れがおかしくなってしまったような感覚に捕らわれてしまう空間なのだ。


桐ヶ丘中央商店街入り口


ではこの商店街のポイントを見ていこう。
上の画像はE28B号館の南側から写したものだが、ここが商店街の正面入り口となる。このE28B号館下の通路を抜けて商店街の中に進んでいく。


enter the 桐ヶ丘中央団地商店街.


居住棟に挟まれた区画に入った瞬間、空間の雰囲気が変わるような印象を受けるだろう。
それはやはり昭和30年代、40年代に使われていたものが今なお残っているからだ。当時が分かる方ならば、『そのスイッチ』があることで自分の記憶も瞬間、当時に戻ることだろう。
辺りにはお母さんと一緒に晩ご飯の買い物に来た子供たちを遊ばせるために設置された、当時の遊具(プレイマシン)が置いてある。


出迎えてくれるカッコイイ乗り物たち


私は成人男性としては小柄なほうだが、それでも遊具はどれも小さく見える。
かなり低い年齢層を想定していたようだ。


思った以上にスケールは小さい


1回20円とある。
当時からこの値段だったのだろうか。


いちいちディテールがカッコイイ


やはり下の画像のように生き物タイプだとつい感情を入れて見てしまう。
この感覚は映画トイストーリーを見たことがあるせいだろうか。
昭和40年代にパンダモチーフなのだから当時の人気は相当なものだっただろう。
(上野動物園でカンカンとランランが公開され、日本中でパンダブームが巻き起こったのは1972年(昭和47年)の事)


何人の子供たちがそのボディに入ったことだろう


乗り物はどれも既にもうかなりのダメージを受けている状態である。 見れば左足裏にも補修の跡がある。


頭に開いた穴が怖い


パンダの頭には何故か正円形の穴が。構造上の問題か?
どうみても痛々しい。


商店街で現在も営業しているおもちゃ屋さんを後ろに


このプレイマシンの奥にあるおもちゃ屋さんはまだまだ現役。今も営業されている。

店頭に置かれたこのタイプのクレーンマシンは小学生のときに出かけたデパートに設置されていたような気がする。


桐ヶ丘団地のおもちゃ屋さん


デュエルではなくデェルなわけだがここはそれでいいのだ。
いや、こうでなければいけないのだ。変えてはいけない。
チップとデェルみたいだ。


商店街内にはもう1箇所、このようなプレイマシンの設置してある場所がある。


”ステキフォント”が光る


タカハシさんの軒下だ。


看板の下にも遊具が並ぶ


この地を訪れた方たちの記憶に強く残るのが彼だ。


ウルトラマンではなく流星人間ゾーンだ


彼はよく『ウルトラマン』と間違われるのだがウルトラ兄弟ではなく正しくは『流星人間ゾーン』である。


流星人間ゾーン


残念ながら私は世代が違っているためゾーンのことはよく知らない。
ただ、子門 真人氏の歌う主題歌を聞く限り、その内容は10歳以下あたりがターゲットになっているようだった。そういった意味ではこのマシンの利用者層と合致するヒーローだったのかもしれない。
なお、調べてみると流星人間ゾーンの放送は1973年(昭和48年)4月2日から同年9月24日まで全26話が放送されたようである。2クール続いているところを見るとそれなりに人気があったシリーズなのかと思う。仮に桐ヶ丘団地にいるこのゾーンが1973年生まれだとするならば私とこのゾーンは同じ年齢である。


肩から左手がもげてしまっている


現在、この地にいるゾーンはこんな姿になっている。
左腕から先が無くなってしまっているのだ。


しかしそれでも彼は悪がやってくれば、


ちょっと待て、


未だ正義の味方であり続けているゾーン


と、僕らを救うために悪に立ち向かってくれる。
『もう守らなくてもいいんだよ』と彼に伝えても、彼は今日も桐ヶ丘の平和を守ることをやめようとはしない。腕がなくなったって守り続けている。もう40年近くずっとだ。


流星人間ゾーンは今日も桐ヶ丘の平和を守る


そんな彼はいつ桐ヶ丘から旅立っていくのだろうか。きっと彼がいなくなってから町のみんなは大切なものを失ってしまったことに気づくんだ。
ありがとうゾーン。


ゾーンやパンダ以外にもいろいろなプレイマシンが残っているが、それぞれにストーリーがあるのだろう。
パンダやゾーンといったモチーフからも連想できるように、やはり昭和50年前後の桐ヶ丘中央商店街はさぞ活気に満ちていたのだろう。



タイプはいろいろある


商店街を見回せば営業している店舗は15件ほどだろうか。


そのほかにもいろいろなお店が現役


だが、シャッターが閉まっている部分も多い。


シャッターが閉まっている部分も多い


そんな風にして見回す商店街自体の建材も見たことの無いタイプ。


まるでアイスクライマーのようなパネル


やはり図面では見えてこないこういうディテールはしっかり見ておきたいところだ。
例えば肉屋さんの軒にはこんな装飾がある。


見逃したくないプラカッティング01 見逃したくないプラカッティング02

見逃したくないプラカッティング03 見逃したくないプラカッティング04


チキンの綴りが違うとか、ソーセージがサウス-エイジになってしまっているとかそのへんはスルー。感じたいのはこの質感とオリジナルのデザインのセンスだ。例えば曲線(Rライン)が全てベジェ曲線ではないとか(要は手書きということです)アルファベットも1文字1文字手で切り出しを行っているとか(例えばBEEFの最初のEと次のEは微妙に形状が異なっている。こういった部分から現代のプロダクトでは生まれてこない味が発せられるのだと思う。)、日本語(漢字・ひらがな・カタカナフォント)を一切使わない清さとかそういう部分だ。
個人的にぐっと来るのはポークとチキン。デフォルメが秀逸。ビーフの頭のモジャモジャと物悲しげな瞳も見ておきたい。




冒頭でも少し触れたが商店街の突き当りはE28A号館になっている。


基地顔か中央商店街の位置


この商店街は四方を建物に囲まれたつくりの中にあるのだ。


E28A号館を仰ぐ

このE28A号館の下にあるのが『あさま屋』だ。

子供は少ないが夕方になるとここに集っている


このあさま屋さんの前にはアーケードゲームの筐体も置いてあり、数少ない小学生たちは夕方になるとこの辺りに集まっている。放課後に駄菓子屋さんにみんなで集まって買い食いをしながら遊ぶ感覚は、私のような第2次ベビーブーム世代も現代の小学生たちもあまり変わりが無いようだ。


コンセントは抜かれていた


以下の画像には自身が写り込んでしまっており見栄えも悪く、非常に図柄を確認し難いのだがとても気になったものだったのでアップしておこう。下画像は「ワールドサッカー」と書かれたコインをはじいて遊ぶアナログゲームの筐体なのだが、その盤面デザインを見ていると・・・・・おや?


写りこみすみません画像その1


・・・おやおや・・・?


いやまてよでも・・・・


写りこみではなく高橋先生に許可は取っているのかという話だ(笑)


ちょっとまて、馴染みの古本屋で確認だ。
これは『高橋先生に許可は取っていますか?』という話だ。
全く同じアングルのものはそこには無かったが、一番近いのを選んできた。
1970年代生まれの方は多くの方が共感できるのではないだろうか。








ほら、スパイクの裏の見え方とかこのバランスでしょ。









一番イメージの近いヤツを選んできた



いやだけどなぁ・・・・、



コピーかオリジナルかが争点だ


もはやこうなるとオリジナルになるからOKなのか?手先がペンチみたいだよ(笑)


このサッカー少年のコインゲームの位置から数メートル右手には団地棟の柱が立っており、柱表面を覆うタイルにはびっしりとシールが貼られている。ガムの包装紙が圧着するタイプのシールになっている商品があったが、多分その類だ。よく見るとそのシールにはどれもはがそうとした痕が残っており、何のシールだったのか判別し辛くなっている。自分が小学生の頃は確か『ロボダッチ』というキャラクターで同様のシールがあったように思ったがそれとも違うようだ。


柱のタイルはシールだらけ(多分ガムのおまけのやつ)


よく見ていったところ判別できる部分が残っていた。


かろうじてミクロマンと読めるシールを発見


シール下部に「ミクロマン」の文字を発見。


比較的図柄が残っているもの


こういったものも時間を引き戻すスイッチになる。

タンスや机など特にそうなのだが、生活の身近なところに貼られて時間が経過したシールというのは何故こうも物悲しげなのだろう。この場所にあるシールは「はがそうとした痕跡」があるだけによりいっそう悲しい感じがするのだ。友達みんなと遊んでいてテンションがあがって調子にのり、ミクロマンシールを貼り付けたはいいが、学校の先生にばれて「シールをはがして来なさい!」と怒られ、シールをはがそうと何時間も頑張ってみたが予想以上に圧着具合がしっかりしておりぜんぜんシールがはがれず泣きながらあさま屋さんに謝罪しに行った、なんてストーリーはどうでしょう?(笑)


E28A号館の下を潜り抜け、南を向いてあさま屋さんを見るとこのような情景。


E28A号館の下を抜け南向きのアングルで


その人の育ってきた時代や環境によって何が琴線に触れるかはまちまちだが、こういったものに心を揺さぶられる方もいるのではないだろうか。


今は使われていないようだ


花屋の軒の電話番号は7桁だ。

電話番号7桁は1996年で終わっている


そのほかの店舗でも電話番号が7桁のままになっているところは多い。


電話番号7桁表記の店舗もまだ残る


東京では1996年に8桁化(正確には市外局番も含めた10桁化)されているのでこれらはそれ以前に作成されたものということになる。


このような情景の残るのが桐ヶ丘中央商店街である。


なお、バス通りに面したE35号館、E36号館の1階部分にも商店が並んでいる。
『肉のクマザワ』で揚げたてのコロッケを買って桐ヶ丘中央公園でしばし休息というのも楽しみ方のひとつではないだろうか。


桐ヶ丘アパートE35号館前


『サンキュー。おお!ニク、肉!』の語呂合わせも是非味わっておこう。


パンダ、ゾーン、サッカー少年、ミクロマンなど、話の脱線具合を見ても分かるように桐ヶ丘中央商店街は私にとって『スイッチ』だらけの空間なのである。


なお、この商店街の西隣のブロックは再生計画による建て替えが進行しているブロックである。
いつ桐ヶ丘中央商店街が無くなってしまっても(あるいは生まれ変わってしまっても)おかしくない状況にある。





● 魅力3 都営団地建築物

やはり桐ヶ丘アパートの魅力を挙げる上で外せないのはその建築物がかもしだす雰囲気だろう。 しかし私は建築の勉強をしているわけではない。都営集合住宅についての専門知識もほとんど無いことをはじめにことわっておく。
今回この桐ヶ丘レポートを書こうとして集めた資料をを見ると桐ヶ丘アパートの居住棟建築にも『フラット型』『ポイント型』『メゾネット型』などいろいろなタイプがあるそうだが、以下にアップした画像は単純にその建物を見た瞬間に『なんだか魅力を感じるな』と思ったか否かという視点から選んだものがほとんどである。
そのため純粋な団地マニア(否定的な意味は含みません)な方の団地建造物の捕らえ方とは違った視点で建物を見ており「いや、見たいのはそこじゃないよ!」という画像のセレクトになっているかもしれないことをご容赦いただきたい。

※より詳細な3区域別、号館別のみどころについては今後まとめていき、いずれアップしたいと思います。そちらではもう少し細かくその団地建築物を取り上げていこうと考えています。


▽桐ヶ丘アパートの魅力的な居住棟群


それでは桐ヶ丘アパートに数ある居住棟の中でも特に魅力を感じたものを紹介して行こう。


桐ヶ丘アパート居住棟03


ひとくちに「居住棟」といっても桐ヶ丘アパートのそれはとても種類が豊富だ。


桐ヶ丘アパート居住棟02


だが、そのほとんどの住棟は4~5階建てのためエレベーターは無く、建物のどこかに階段があるという点は共通しているようだ。


桐ヶ丘アパート居住棟06


桐ヶ丘アパート居住棟11


玄関側ではなく、ベランダ側から見た姿もまた興味深い。


桐ヶ丘アパート居住棟07


桐ヶ丘団地居住棟12


桐ヶ丘アパート居住棟08


桐ヶ丘団地には昭和30年代に建てられた居住棟が今でも残る。
そういった建物は住みやすくするため、あるいは時代に対応できるように増築、改築が行われている。
下は増築の痕がはっきりと分かる居住棟。
向かって左が旧来の建築部分。向かって右が新しく増築された部分である。


桐ヶ丘アパート居住棟12


増改築跡というテーマを持って建物を見ていっても楽しめる。


桐ヶ丘アパート居住棟05


近代的な建築ではまずありえないこの配管はどうだ。


メカ好きにも受けがよさそうな風貌


下はバスユニットを増築してあるN9号館。


桐ヶ丘アパート居住棟11


増改築を重ねた居住棟の中にはどんどんパーツを付け足していった結果、どう見ても何かの研究施設のように見えてしまう居住棟もある。


桐ヶ丘アパート居住棟09


こんな感じだ。


桐ヶ丘アパート居住棟10

上2枚はどちらもE4号館だが、既に取り壊しが決定している。本当に残念でならない。
※2010年7月の段階ではすでにここには既に誰も入居しておらず、いつ解体工事が始まってもおかしくない状況であった。)

E4号館の表に回るとこのような顔を見せてくれる。


桐ヶ丘居住棟


2階部分に入り口がないのでこれが『メゾネット型』と呼ばれる居住棟だろうか。


桐ヶ丘アパート居住棟04


そういった取り壊しを待つだけの居住棟は画像のように入り口がふさがれており、既に中には入れないようになっている。下の画像はまた別の解体待ち棟。


解体寸前の桐ヶ丘団地棟01


もうこうなるとあとは解体を待つばかりだ。


解体寸前の桐ヶ丘団地棟02


『この居住棟完成から解体までに、のべ何人がこの階段を利用したんだろう?』などと考えると大変感慨深い。

以上のように桐ヶ丘アパートの団地棟は様々な顔を見せてくれる。
見る角度や時間帯によっても異なった情景を見せてくれる。
そんな団地の建築物群は、次項で述べる厚みのある自然と相まって絶妙の輝きを見せてくれる。


見事に自然と交わりあうN25号館
自然と交じり合うN25号館


そのような魅力的な自然の様子については次回以降、別エントリーにてまとめて行く。





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コメント

こんにちは~。
すごい!すごいです~。
記事からとてもエネルギーを感じますw
みどころマップまであるなんて~~!!

わたしはやっぱりというか、給水塔の連続に見入りました。
給水塔って、1つだけでも、芸術作品を自由に見せてもらってる
みたいなうれしい感覚がありますが、こんなに何枚もあると圧巻です。

ちょうど、この桐ヶ丘団地の脇を掠めていた川の下流部分
(線路を越えた後)だけ、以前あるきました。
上流部もぜひ行ってみたかったので、行くときには
この記事を参考にさせてもらってもよろしいでしょうか・・・?
---------- nama [ 編集] URL . 08/06, 15:35 -----

コメントありがとうございます。エネルギーかけてます(笑)
自分は「地図好き」でもあるのですが、桐ヶ丘周辺の"歩きに適した"
良い地図が無かったので自分で作ってしまいました。
あ、でも地図に関してはnamaさんのほうが造詣が深いでしょうか。

給水塔は魅力的ですよね~。桐ヶ丘団地でもやはりこれが一番
ぱっと見て伝わる魅力なのではないだろうかと考え、「魅力1」に
挙げたくらいです。
個人的なオススメはN32号館越しに見えるN区給水塔です。
(みどころマップ内にも書き込みあります。)

川があった事は知りませんでした。さすがの水関連ですね!
あとで古い赤羽周辺の地図を見てみよう(笑)
マップでもエントリー内容でも、お役に立つものがあればご利用ください。
良い散策の一助となれば作った者として幸いです。

---------- 闊歩マン [ 編集] URL . 08/07, 01:47 -----

拝見しました。

いいですねー。 

桐ヶ丘団地にはまだ 1階部分の戸が引き戸になってるところが まだあったように記憶してます。

桐ヶ丘北小学校も取り壊しに入っています。また風景が変わってしまう前に あたしもカメラをぶら下げてうろうろしてみようかと コチラを拝見していて 思ったしだいです。

建て増しで退去して行かれた元住人の中には すでに亡くなられた方も多く 寂しい限りです。 できれば 住み慣れた何号棟でって・・・ 


今度は完全取り壊しになります。


残念ですが もうこんなのどかな風景に戻って来れないんだなぁって、寂しいです。




---------- じもてぃー [ 編集] URL . 11/06, 14:30 -----

こんにちは。コメントをどうもありがとうございます!
引き戸タイプの居住棟には気が付きませんでした。自分が見逃して
いるだけなのか、それとも現在は既に残っていないのでしょうか。
桐北小の取り壊しも始まってしまったようで残念です。
そういった桐ヶ丘の情景を鮮明に記憶に残したいと思い、
自分も画像に残した(このブログにまとめた)しだいです。
赤羽台のほうもだいぶ再開発が進んでいるようですね。
あの辺り一帯の景観の変化は特にめまぐるしい時代なので
何年後、何十年後にもこんな風景が思い出せるといいですよね。
---------- 闊歩マン [ 編集] URL . 11/09, 20:06 -----
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
---------- [ 編集] . 02/22, 13:30 -----
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