上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
当ブログの以前のエントリーでも取り上げた事のある北区上十条にあった『久保の湯』さんが2011年9月末日、30日(金)を以ってお店を閉められた。


久保の湯 外観


戦前から80年近く十条で湯を提供してきた皆の集いの場が、残念ながらその歴史に幕をおろしたのだ。ご主人にお話を伺ったところ、この建物は昭和31年に建てられたもの(築55年)だそうで、老朽化が激しいためゆくゆくは取り壊しを考えているとの事だった。

詳しくは以前の久保の湯エントリーに譲るが、自分にとってはこの銭湯には個人的な思い入れが強く、それだけにこの出来事には大きな衝撃を受けた。奇しくもその以前のエントリーの中で『「この場所を体験できるのはこれが最後になるかもしれない」という事を頭のどこかに置いて空間を楽しんでいきたい。』と書き残していたのだが、まさにそれが現実となってしまったというわけだ。
もう二度と久保の湯の格天井の木目を見てウットリしながら脱衣したり、ガラス広告のオリジナルキャラクターを愛でたり、縁側に腰を降ろして坪庭(&池)で湯上りのほてった体をクールダウンさせながら脱力するといった楽しみが味わえなくなってしまったのだ。

この廃業の知らせを聞いた自分も、お店を閉じられる1日前に最後の久保の湯に行ってお湯を楽しみ、様子を画像に残してきた。また自分のハードディスクの中に幾つかあった過去の久保の湯さんの画像もこのエントリーに残しておこうと思う。
何度も気持ちよさを味わわせてくれた、東京都北区上十条の庶民文化と久保の湯さんに感謝を表す意味で在りし日の久保の湯画像をピックアップする。

なお2011年10月現在、この久保の湯さんの周辺地域を含め北区の旧軍用地だった広大な区画は大規模な再開発の波に飲まれ、昭和の景観の残っていた町並みが急速に消滅している。当エントリーの久保の湯さんの画像postのあとに、その再開発がどれだけ広域なものかを記した地図を貼り付けているので興味のある方はそちらも合わせてご確認いただきたい。軍都北区で戦後すぐに開発された町並みが現代の建築に変わっていく過渡期にあるという事が認識できるだろう。

では以下より久保の湯さんの思い出画像を貼り付けていく。



■十条 久保の湯 (東京都北区上十条2-8-16)



大きな地図で見る


JR埼京線の十条駅から徒歩3~4分の場所にあった。池袋からは2駅目で、10分もあればアクセスできる立地だった。また、通常25時まで営業されており、終電近くの遅い時間になっても人々を受け入れてくれていた。
ではそんな夜の久保の湯画像から。


夜の久保の湯


十条久保の湯


十条久保の湯、構え


薄暗く細い路地の奥にぼうっと光るその構えを見つけるといつもありがたい気持ちになっていた。

番台やアルミ枠の窓など近年改築された部分はあったものの、扇風機や体重計と言った備品や、昭和の時代に作られた注意書きのフォントなどから色濃く過去を感じる事の出来る特異な空間であった。


十条久保の湯


十条久保の湯


十条久保の湯


久保の湯 体重計


十条久保の湯


十条久保の湯 柱時計


見事な柱時計は現役で時を刻み続けていた。


久保の湯の注意書き


十条久保の湯


続いて以下はお店を閉められる1日前に伺った際の様子。自分にとっては本当にこれが最後の久保の湯体験となった。


久保の湯 外観


久保の湯 外観


久保の湯 玄関先


久保の湯 最後の挨拶


傘立て(ロッカー)にはお店を閉めることを伝える挨拶文が貼られていた。


久保の湯 入り口


この玄関部分の天井の作りは脱衣場の格天井とは素材や仕上げ方が異なっていた。もしかしたら番台をカウンター式のエントランスに作り変えたときに玄関付近の改築があったのかもしれない。


久保の湯 下駄箱


そしてこちらが『折り上げ格天井』と呼ばれるタイプの天井。


久保の湯 格天井


脱衣場の湿気を考慮して天井の高い造りになっている。


久保の湯 格天井


男湯と女湯の間に立つ大黒柱には堂々とした柱時計が鎮座。その横には昭和の時代からよくぞここまで残ってくれたガラス広告(看板)が存在をアピールしていた。


久保の湯 脱衣所


また久保の湯に行った際にはいつも利用させていただいていた縁側の風景はこういったものだった。(動画 ↓)





この日は久保の湯を体験できる最後の機会だったこともあり、特に長居させていただいた。湯を堪能し、畳の長座椅子で呆け、パンツにTシャツという無防備な格好のまま縁側で脱力する最高の和みを味わうことができた。
この建物から外に出る直前、最後の最後に古銭湯巡りの際の自分の定番『オレインザミラー(俺 in the mirror)』で久保の湯さんに別れを告げてきた。


久保の湯でオレインザミラー


この思い入れ深い銭湯が無くなってしまった事は本当に残念でならない。しかし多くの人々が銭湯を必要としないスタイルで生活しているのだから仕方がないのだろう。東京のいわゆる下町と呼ばれるような横の繋がりが残るエリアですら、もう銭湯は必要ないのだ。久保の湯さんも近年は利用者がどんどん減っていたのだと思う(あくまで体感による推測ですが)。

この北区十条地域は戦前に日本軍の施設が多くあった場所で、軍事産業に従事する人々が多くいた。またそういった人々を相手にして商店街や飲食店なども整備されてきた歴史がある。赤羽や十条の現在の街の原型はこの頃に出来上がったものだ。
戦前、久保の湯の近くにも東京第一陸軍造兵廠(現在の十条台自衛隊駐屯地と北区中央公園を含めたエリア)や東京第二陸軍造兵廠(現在の北区十条台と板橋区加賀にまたがる)があった。これら軍用地だった場所は戦後の米軍接収時代を経て国からの払い下げ地となった。
それらの払い下げ地は戦後、都営団地、公共の学校施設や国立大学、国の公共事業宿舎などに使われてきた。払い下げ地は主に昭和20年後半~30年代に開発されており、その時代に造成されたそれらの地域は2011年現在北区が最も力を入れて再開発を行っている場所となっている。

このような北区の成り立ちを把握しようと桐ヶ丘レポートを書いた頃に北区の戦前の軍用地域を色付けした地図を作った事がある。北区は戦前に軍都として栄えたと言う事を視認できるようにしたかったためだ。
今回、この地図に久保の湯さんの位置と、ここ5年ほどの間に北区軍事施設跡地で再開発されている地域を色づけしてみた。薄い黄色で色付けされているのが戦前北区にあった軍用地を表し、赤く塗りつぶしたエリアが近年再開発されている区画となる。戦後に起こった町が2000年代に入って大きく作り変えられている只中であるのがはっきりと分かる。


東京都北区 戦前の軍用地と2011年の再開発地域比較MAP
※画像クリックで拡大します


いかがだろうか。赤のエリアがかなり多い事に気が付くと思う。
例えば上十条の自衛隊駐屯地(旧東京第一陸軍造兵廠)に隣接していた『都営王子本町アパート』も2011年に取り壊された。


大きな地図で見る


王子本町アパート ランドマーク
※この画像は2011年10月現在取り壊されずに残っている王子本町アパート1号棟とランドマークの給水塔


■在りし日の都営王子本町アパートいろいろ


解体前の王子本町アパート


王子本町アパート


王子本町アパート


王子本町アパート


王子本町アパート 奥は自衛隊駐屯地


奥に見える鉄塔は自衛隊駐屯地に建てられたアンテナ。
2010年夏頃から住民の引越しが目に付くようになった。


王子本町アパート 引越し



王子本町アパート


王子本町アパート 引越し



王子本町アパート 引越し


様々な思いのこもった生活の一部が切り取られているようでいろいろな家族ストーリーを妄想してしまう。14型ブラウン管テレビのチャンネル争いだってきっとあったはずだ。


王子本町アパート 引越し


王子本町アパート 引越し


そして・・・・


■2011年2月、解体


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


どかーんどかーん


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


2011年、東京都北区旧軍用地ラインの再開発はすさまじいスピードで進んでいます。わずかに王子本町にはこのような景観が残っていますがもう探さないとこういうエリアには出会えないと思います。


王子本町に残る井戸


周囲は開発されてしまったものの水場だけが残った例。
下は井戸と生活空間が共に残る稀有な例。


王子本町に残る井戸


こういった光景が一般的だった時代、大量な人の流れがあったこの立地の久保の湯にはさぞ沢山の人が通ったのだろう。近年の開発によって平屋でトタン屋根の風呂なし住居はどんどん建て直され、ほぼ全ての家に内湯が設置されるようになり『銭湯』という文化は必要とされなくなってしまったのだ。いわゆるスーパー銭湯と呼ばれるような大きな銭湯娯楽施設は別として、昭和から残る地域に密着した旧来の銭湯が存続し続けるのは非常に難しい事なのだと痛感する。

こういった背景がありながら現在まで湯を提供してくれていた久保の湯の体験を忘れずにいたい。
もうこんな体験はどこに行ってもできない。これまでありがとうございました。



--------------------------------------------------------------------



2012年7月21日 追記

2012年7月8日、散歩のついでに北区上十条の久保の湯さんのあった場所に立ち寄りました。
過去にこのような情景を見せてくれていた場所が・・・・

上十条にあった久保の湯


                    ↓
                    ↓
                    ↓
                    ↓
                    ↓

全て取り壊されて更地になっていました。

20120708_kubonoyu


こうやって東京の風景は知らないうちに新しいものに置き換わっていってしまっているのですね。残念ですがどうすることも出来ない時間の流れです。こうやって景観を変貌させていくのが東京なのですから。

最後に言いたい事は、やはり「久保の湯さん、ありがとうございました」のヒトコトに尽きます。
本当に、本当にありがとうございました。
東京都北区上十条のあの場所で、自分は銭湯のワビサビや戦後からの外湯文化(他者と触れ合いながら湯につかる文化)といったものを堪能させていただきました。

リアルな『銭湯という空間』がここにはありました。

自分の脳内にある記憶の地図の中に風穴を空けられてしまった感覚を悲しみつつ、東京都北区上十条・久保の湯エントリーはこれにてフィニッシュ。物理的に消滅してしまったのだから、もうどうやったってあの場所には戻れません。
感涙。

なお、リンクを飛んできて久保の湯さんの雰囲気が分からないという方はまずはコチラのエントリーからご確認ください。

http://3pomaniax.blog116.fc2.com/blog-entry-93.html


スポンサーサイト
  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。