上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
東京都北区、上十条に『久保の湯』という古い銭湯がありました。なんと80年近くにも及び、この地域で湯屋を営んでいた銭湯です。
しかしながらこの銭湯は残念ながら2011年9月いっぱいで営業を終えられ、その長い歴史に幕を下ろしました。

銭湯を営んでいたその建物は2012年の最近までまだ現存していたのですが、同年7月にその場所を確認したところ、取り壊しされてあとかたも無く消滅していました。あああぁぁ~。

覚悟していた情景とはいえ、とても寂しい情景でした。

取り壊し後の更地になってしまった風景を、過去の久保の湯さんのエントリーの文末(エントリーの一番最後の辺り)に追記しましたので、どんな情景になってしまったのかと興味のある方は以下のURLからご確認ください。


過去のエントリーURLはコチラ ↓
『東京都北区十条 久保の湯 廃業』
http://3pomaniax.blog116.fc2.com/blog-entry-120.html



少なくとも俺の心風景にはポッカリと穴が開いてしまいましたよ。

改めてありがとうございました、久保の湯さん。消滅後の画像を確認したい方はリンク先URLの文末をご確認ください。


スポンサーサイト
当ブログの以前のエントリーでも取り上げた事のある北区上十条にあった『久保の湯』さんが2011年9月末日、30日(金)を以ってお店を閉められた。


久保の湯 外観


戦前から80年近く十条で湯を提供してきた皆の集いの場が、残念ながらその歴史に幕をおろしたのだ。ご主人にお話を伺ったところ、この建物は昭和31年に建てられたもの(築55年)だそうで、老朽化が激しいためゆくゆくは取り壊しを考えているとの事だった。

詳しくは以前の久保の湯エントリーに譲るが、自分にとってはこの銭湯には個人的な思い入れが強く、それだけにこの出来事には大きな衝撃を受けた。奇しくもその以前のエントリーの中で『「この場所を体験できるのはこれが最後になるかもしれない」という事を頭のどこかに置いて空間を楽しんでいきたい。』と書き残していたのだが、まさにそれが現実となってしまったというわけだ。
もう二度と久保の湯の格天井の木目を見てウットリしながら脱衣したり、ガラス広告のオリジナルキャラクターを愛でたり、縁側に腰を降ろして坪庭(&池)で湯上りのほてった体をクールダウンさせながら脱力するといった楽しみが味わえなくなってしまったのだ。

この廃業の知らせを聞いた自分も、お店を閉じられる1日前に最後の久保の湯に行ってお湯を楽しみ、様子を画像に残してきた。また自分のハードディスクの中に幾つかあった過去の久保の湯さんの画像もこのエントリーに残しておこうと思う。
何度も気持ちよさを味わわせてくれた、東京都北区上十条の庶民文化と久保の湯さんに感謝を表す意味で在りし日の久保の湯画像をピックアップする。

なお2011年10月現在、この久保の湯さんの周辺地域を含め北区の旧軍用地だった広大な区画は大規模な再開発の波に飲まれ、昭和の景観の残っていた町並みが急速に消滅している。当エントリーの久保の湯さんの画像postのあとに、その再開発がどれだけ広域なものかを記した地図を貼り付けているので興味のある方はそちらも合わせてご確認いただきたい。軍都北区で戦後すぐに開発された町並みが現代の建築に変わっていく過渡期にあるという事が認識できるだろう。

では以下より久保の湯さんの思い出画像を貼り付けていく。



■十条 久保の湯 (東京都北区上十条2-8-16)



大きな地図で見る


JR埼京線の十条駅から徒歩3~4分の場所にあった。池袋からは2駅目で、10分もあればアクセスできる立地だった。また、通常25時まで営業されており、終電近くの遅い時間になっても人々を受け入れてくれていた。
ではそんな夜の久保の湯画像から。


夜の久保の湯


十条久保の湯


十条久保の湯、構え


薄暗く細い路地の奥にぼうっと光るその構えを見つけるといつもありがたい気持ちになっていた。

番台やアルミ枠の窓など近年改築された部分はあったものの、扇風機や体重計と言った備品や、昭和の時代に作られた注意書きのフォントなどから色濃く過去を感じる事の出来る特異な空間であった。


十条久保の湯


十条久保の湯


十条久保の湯


久保の湯 体重計


十条久保の湯


十条久保の湯 柱時計


見事な柱時計は現役で時を刻み続けていた。


久保の湯の注意書き


十条久保の湯


続いて以下はお店を閉められる1日前に伺った際の様子。自分にとっては本当にこれが最後の久保の湯体験となった。


久保の湯 外観


久保の湯 外観


久保の湯 玄関先


久保の湯 最後の挨拶


傘立て(ロッカー)にはお店を閉めることを伝える挨拶文が貼られていた。


久保の湯 入り口


この玄関部分の天井の作りは脱衣場の格天井とは素材や仕上げ方が異なっていた。もしかしたら番台をカウンター式のエントランスに作り変えたときに玄関付近の改築があったのかもしれない。


久保の湯 下駄箱


そしてこちらが『折り上げ格天井』と呼ばれるタイプの天井。


久保の湯 格天井


脱衣場の湿気を考慮して天井の高い造りになっている。


久保の湯 格天井


男湯と女湯の間に立つ大黒柱には堂々とした柱時計が鎮座。その横には昭和の時代からよくぞここまで残ってくれたガラス広告(看板)が存在をアピールしていた。


久保の湯 脱衣所


また久保の湯に行った際にはいつも利用させていただいていた縁側の風景はこういったものだった。(動画 ↓)





この日は久保の湯を体験できる最後の機会だったこともあり、特に長居させていただいた。湯を堪能し、畳の長座椅子で呆け、パンツにTシャツという無防備な格好のまま縁側で脱力する最高の和みを味わうことができた。
この建物から外に出る直前、最後の最後に古銭湯巡りの際の自分の定番『オレインザミラー(俺 in the mirror)』で久保の湯さんに別れを告げてきた。


久保の湯でオレインザミラー


この思い入れ深い銭湯が無くなってしまった事は本当に残念でならない。しかし多くの人々が銭湯を必要としないスタイルで生活しているのだから仕方がないのだろう。東京のいわゆる下町と呼ばれるような横の繋がりが残るエリアですら、もう銭湯は必要ないのだ。久保の湯さんも近年は利用者がどんどん減っていたのだと思う(あくまで体感による推測ですが)。

この北区十条地域は戦前に日本軍の施設が多くあった場所で、軍事産業に従事する人々が多くいた。またそういった人々を相手にして商店街や飲食店なども整備されてきた歴史がある。赤羽や十条の現在の街の原型はこの頃に出来上がったものだ。
戦前、久保の湯の近くにも東京第一陸軍造兵廠(現在の十条台自衛隊駐屯地と北区中央公園を含めたエリア)や東京第二陸軍造兵廠(現在の北区十条台と板橋区加賀にまたがる)があった。これら軍用地だった場所は戦後の米軍接収時代を経て国からの払い下げ地となった。
それらの払い下げ地は戦後、都営団地、公共の学校施設や国立大学、国の公共事業宿舎などに使われてきた。払い下げ地は主に昭和20年後半~30年代に開発されており、その時代に造成されたそれらの地域は2011年現在北区が最も力を入れて再開発を行っている場所となっている。

このような北区の成り立ちを把握しようと桐ヶ丘レポートを書いた頃に北区の戦前の軍用地域を色付けした地図を作った事がある。北区は戦前に軍都として栄えたと言う事を視認できるようにしたかったためだ。
今回、この地図に久保の湯さんの位置と、ここ5年ほどの間に北区軍事施設跡地で再開発されている地域を色づけしてみた。薄い黄色で色付けされているのが戦前北区にあった軍用地を表し、赤く塗りつぶしたエリアが近年再開発されている区画となる。戦後に起こった町が2000年代に入って大きく作り変えられている只中であるのがはっきりと分かる。


東京都北区 戦前の軍用地と2011年の再開発地域比較MAP
※画像クリックで拡大します


いかがだろうか。赤のエリアがかなり多い事に気が付くと思う。
例えば上十条の自衛隊駐屯地(旧東京第一陸軍造兵廠)に隣接していた『都営王子本町アパート』も2011年に取り壊された。


大きな地図で見る


王子本町アパート ランドマーク
※この画像は2011年10月現在取り壊されずに残っている王子本町アパート1号棟とランドマークの給水塔


■在りし日の都営王子本町アパートいろいろ


解体前の王子本町アパート


王子本町アパート


王子本町アパート


王子本町アパート


王子本町アパート 奥は自衛隊駐屯地


奥に見える鉄塔は自衛隊駐屯地に建てられたアンテナ。
2010年夏頃から住民の引越しが目に付くようになった。


王子本町アパート 引越し



王子本町アパート


王子本町アパート 引越し



王子本町アパート 引越し


様々な思いのこもった生活の一部が切り取られているようでいろいろな家族ストーリーを妄想してしまう。14型ブラウン管テレビのチャンネル争いだってきっとあったはずだ。


王子本町アパート 引越し


王子本町アパート 引越し


そして・・・・


■2011年2月、解体


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


どかーんどかーん


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


王子本町アパート 解体工事


2011年、東京都北区旧軍用地ラインの再開発はすさまじいスピードで進んでいます。わずかに王子本町にはこのような景観が残っていますがもう探さないとこういうエリアには出会えないと思います。


王子本町に残る井戸


周囲は開発されてしまったものの水場だけが残った例。
下は井戸と生活空間が共に残る稀有な例。


王子本町に残る井戸


こういった光景が一般的だった時代、大量な人の流れがあったこの立地の久保の湯にはさぞ沢山の人が通ったのだろう。近年の開発によって平屋でトタン屋根の風呂なし住居はどんどん建て直され、ほぼ全ての家に内湯が設置されるようになり『銭湯』という文化は必要とされなくなってしまったのだ。いわゆるスーパー銭湯と呼ばれるような大きな銭湯娯楽施設は別として、昭和から残る地域に密着した旧来の銭湯が存続し続けるのは非常に難しい事なのだと痛感する。

こういった背景がありながら現在まで湯を提供してくれていた久保の湯の体験を忘れずにいたい。
もうこんな体験はどこに行ってもできない。これまでありがとうございました。



--------------------------------------------------------------------



2012年7月21日 追記

2012年7月8日、散歩のついでに北区上十条の久保の湯さんのあった場所に立ち寄りました。
過去にこのような情景を見せてくれていた場所が・・・・

上十条にあった久保の湯


                    ↓
                    ↓
                    ↓
                    ↓
                    ↓

全て取り壊されて更地になっていました。

20120708_kubonoyu


こうやって東京の風景は知らないうちに新しいものに置き換わっていってしまっているのですね。残念ですがどうすることも出来ない時間の流れです。こうやって景観を変貌させていくのが東京なのですから。

最後に言いたい事は、やはり「久保の湯さん、ありがとうございました」のヒトコトに尽きます。
本当に、本当にありがとうございました。
東京都北区上十条のあの場所で、自分は銭湯のワビサビや戦後からの外湯文化(他者と触れ合いながら湯につかる文化)といったものを堪能させていただきました。

リアルな『銭湯という空間』がここにはありました。

自分の脳内にある記憶の地図の中に風穴を空けられてしまった感覚を悲しみつつ、東京都北区上十条・久保の湯エントリーはこれにてフィニッシュ。物理的に消滅してしまったのだから、もうどうやったってあの場所には戻れません。
感涙。

なお、リンクを飛んできて久保の湯さんの雰囲気が分からないという方はまずはコチラのエントリーからご確認ください。

http://3pomaniax.blog116.fc2.com/blog-entry-93.html


当エントリーは東京に古くからある古銭湯を探訪する銭湯関連エントリーの第4回目です。当エントリー以前に、
【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【1】古銭湯探訪とその魅力】
【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【2】北区上十条・久保の湯】
【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【3】文京区目白台・月の湯】
があります。




★『稲荷湯(滝野川)』
 北区滝野川6-27-14
  都営三田線西巣鴨駅から徒歩5分ほど
  都電庚申塚電停から徒歩10分弱
  埼京線板橋駅から徒歩10~15分ほど


今回記録に残す銭湯は前回のエントリーの文京区「月の湯」よりも更に古い昭和5年建築の建造物が残っている。このエントリーを書いた2010年で築80年。これまで自分が訪れた古銭湯の中では最古の建築物だ。
(銭湯という業種をもっと以前からやっているお宅はあるが建て替えなどによって古来の建造物はなかなか残存していない。もしこの月の湯よりも古い建物の残る東京の銭湯をご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えてください。)


稲荷湯 正面


この滝野川稲荷湯は俺が2010年10月現在住んでいる場所から徒歩15分ほどの距離にある。古銭湯としては自宅から最も近くに位置している。やや距離はあるものの徒歩圏内にこういうものが残存していることをちょっと自慢したくなってしまうくらいだから、同じ町内や近所に住む人はこの湯が残っていることをきっと誇りに思っているんじゃないだろうか。

このところの個人的な古銭湯ブームの情報収集でいろいろな銭湯サイトや昭和初期の東京の地域情報などを見る機会が多いのだが、そういった銭湯情報サイトの中にこの滝野川稲荷湯の建物についての歴史を掲載されているサイトがあった。銭湯ファンの方にはいわずもがなの銭湯情報サイトである。このサイト内の滝野川稲荷湯の紹介の中には実際に建築に携わった身内の方からのコメントも載せられている。稲荷湯を訪れる際にはこの知識を入れておくことで感動の度合いが変わってくると思うのでURLをご紹介しておく。戦前の『東京市滝野川区』であった時代からの滝野川の歴史を想像する一助になる。

■「東京レトロを行く」銭湯コンテンツ内、北区滝野川 稲荷湯
http://www5e.biglobe.ne.jp/~wadyfarm/kita43a.html
※膨大な量の銭湯情報をまとめられているサイトです。銭湯探訪の情報収集に利用させていただいております。

上記URLリンク先を見て、この稲荷湯の建物が昭和5年に建てられたものだということを知る事ができた。
戦前からこの地に稲荷湯はあったという部分から、当時の軍事関連施設との位置関係も把握したいと考え、以前のエントリーで『桐ヶ丘レポート』をまとめた際に自分が作った昭和初期の北区軍事施設マップと稲荷湯の位置を重ね合わせてみた。


北区戦前軍事施設と稲荷湯の位置関係
※画像クリックで拡大します


なるほど、確かに徒歩圏内に軍事施設はいくつもあるが、どの施設も稲荷湯には隣接していない。徒歩だと一番近い軍用地まで7~8分といったところか。この微妙な距離と位置関係が現在まで稲荷湯が存在できたことと関係があるのではないだろうか。稲荷湯がもっと軍用地の近くにあったのならば戦火に巻き込まれて消失していたかもしれない。
実際に湯に浸かりに行った際にも番台の奥さんに戦時中のこの辺りの話を聞いたのだが、やはり稲荷湯のすぐ近くにも焼夷弾が落ちていたそうだ。東京での空襲と言えば昭和20年3月10日のいわゆる「東京大空襲」が多く語り継がれているが、その約1ヵ月後の4月13日には東京の城北地区も大きな空襲を受けている。上のマップでも分かるように現在の北区滝野川や十条付近には複数の軍事施設があったことからこの地域は爆撃目標にされ、街は壊滅的なダメージを受けた。マップ内で稲荷湯の位置する北側に『滝野川稲荷神社』があるが、以前この近くにある個人商店の80歳くらいのおばあさんにこの地域の空襲の記憶を聞いた事がある。それによると稲荷神社から北側は現在JR十条駅のある辺りまで空襲を受けて町が燃えている記憶が残っているそうだ。
街の形が無くなってしまうような異常な状況も奇跡的に乗り越えて平成の現在まで存在し、営業を続けているのがここ滝野川の稲荷湯というワケである。

このようなバックボーンを知っておくとよりいっそうこの場所に深く想いを馳せることができるのではないかと思う。滝野川稲荷湯は紛う事無き唯一無二の存在なのだ。

では前置きはこれくらいにし稲荷湯のデータまとめに話を移していこう。


滝野川稲荷湯 建物横方向から
稲荷湯建築物を横方向から見るとこのような感じ


今回この滝野川稲荷湯の感動を記録に残したく思い、稲荷湯さんに銭湯内の画像を撮影したい旨申し出たところ開店前のお客さんがいない状態であればという条件で撮影を許可していただけた。ご好意に感謝したい。
それでは東京都北区滝野川にて450円で体験できる昭和の情緒をご紹介していこう。


まずは古銭湯めぐりの定番、外観の堪能からだ。
この滝野川の稲荷湯は入り組んだ住宅街の中にある。広い通りには面していないため建物の全景は把握し辛い。


滝野川・稲荷湯正面


客を迎えてくれるその建物の面構えはいわゆる典型的な「東京銭湯」タイプのどっしりした感じよりも洗練されて繊細な印象を受ける。のれんをくぐる前に細工の細部まで楽しみたい。
ちなみに俺の頭の中にあるいわゆる「東京銭湯」とは下の画像のようなイメージだ。


いわゆる東京銭湯建築:両国の弁天湯
両国(墨田区千歳)の「弁天湯」

いわゆる東京銭湯建築:千住の大黒湯
千住(足立区千住寿町)の「大黒湯」


そしてこちらが滝野川の稲荷湯の面構え。やはり雰囲気が違う。


北区滝野川『稲荷湯』


稲荷湯の面構えでもう一つ気に入っている点が意匠とは別の部分にある。
東京にある銭湯の多くでは入り口の横に自動販売機が置かれたり、選挙ポスターが貼られてしまっていることが多く、余計な情報も目に入ってしまうことがほとんどだ。(例にとった弁天湯も大黒湯も「面構え」の中に自動販売機も含まれてしまっている)そんな中でココ稲荷湯の面構えには機械やポスターなど現代を感じさせるものがほとんど写りこまない。これはお店のポリシーとして意図的にそうしているのではないだろうか。貴重な存在だと思う。入り口の横にあるコインランドリーや電線といったものを視野に入らないようにすれば想いを昭和初期に馳せる事も容易だ。


滝野川稲荷湯の屋根瓦  滝野川稲荷湯の懸魚(げぎょ)

外壁もところどころにダメージが見られる  滝野川稲荷湯、薪置き場

滝野川稲荷湯入り口のタイル  染め抜いた「いなり湯」の文字がなんとも粋

滝野川稲荷湯木組みの格子  滝野川稲荷湯入り口


ディテールをよく見ていくとやはり建築材は経年によって劣化しておりダメージを受けている部分も見られる。イコールこれは滝野川の歴史でもある。湯に入る前にこういった情報は自分の中に取り込んでおきたい。

ひとしきり外観を楽しんだらいよいよ銭湯の内部に歩みを進めよう。


稲荷湯エントランス


注意したいのはもう既にこの段階で稲荷湯の魅力が展開されているということ。
例えばタイルだとか、下駄箱のダメージだとか、人が触る(歩く)部分の木材の擦り切れだとか過去が偲ばれるものを見ることができる。是非ゆっくり楽しみながらのれんをくぐりたい。


滝野川稲荷湯男湯の入り口


番台を抜けて脱衣場に入ったらまずは天井およびこの80年ものの建築物の様を味わいたい。


滝野川稲荷湯の天井


これが昭和初期の建築だ。
折り上げ(※1)部分は無いが立派な格天井。
とても天井が高く、現代建築ではありえないその贅沢な空間の使い方にウットリしてしまう。また壁のしっくいも年月を経て落ち着いた風合いになっており、年季の入った建材と併せて空気感を作り出している。天井から吊り下げられた蛍光灯もよい味を付加させているなぁ。この空間はやはり外界と時間の流れが違う。これが80年も滝野川にあり続けている空間だと思うと感慨もひとしお。

また、それだけ年月を重ねているのに手入れはしっかりとされている。確かに建材は古いのだがそれはイコール「汚い」のではない。


滝野川稲荷湯脱衣場


感じるのは「お客さんに気持ちよくこの場所を利用してもらおう」という稲荷湯の心意気だ。建材は当然年期が入っているのだがきちんと手入れされ、上の画像を見ても床はピカピカの状態だ。またここ稲荷湯は現代的な手入れもされている。木枠のガラス窓がアルミサッシに変更されたり、ロッカーが新しく付け替えられているのは旧来の銭湯ではよくあることだが、例えば水槽に観賞魚がいたり、ロッカーの上には小さな観葉植物の鉢植えがあったりしてここ稲荷湯だけの味を作っている。


滝野川稲荷湯:ロッカーの上の水槽


滝野川稲荷湯のロッカー


うん、エアコンもピカピカ。近年取り付けられたものだろうか。
しかし日立製のコッチのエアコン(送風機)もしっかり残っているのが時代を重ねてきた証拠。こういうディテールがあるとないとじゃ深みがゼンゼン違いますって話だ。(笑)


日立のしろくまくんの元祖なのかなあ?


HITACHI FC-5800G Family Cooler


しろくまロゴもイカしてますね。

そしてもうひとつ嬉しいのは庭がきちんと残されている事。湯でほてった体のまま庭を楽しむ行為は古銭湯めぐりの大きな魅力の一つだと思うのだ。


滝野川稲荷湯の庭


そしていよいよ洗い場方向に目を向ける。
わざわざお時間をいただいて撮らせていただいたのがこの洗い場。
富士に向かって歩いて行くのですよ。シビれますねぇ。


滝野川稲荷湯洗い場

脱衣場と洗い場を仕切る引き戸の取っ手の形状や、介護イスを置いているところがやはり滝野川のリアルなのだなと感じる。多分スノコの高さだってなるべく段差が出ないように高さを考えられているものだろう。


稲荷湯のスノコ


浴槽は浅くて広いぬる湯と小さく深いあつ湯の二つだ。


稲荷湯の深い浴槽  稲荷湯浴槽  


深いほうにはこんな注意書きが。


稲荷湯のご注意


そう、ここのお湯は熱いのだ。
あつ湯好きの俺には嬉しい限りだが、その熱さはこれまでに巡った銭湯の中でも群を抜いている。非常にカッコイイ。あくまで個人の見解だが、湯温が高い部分もとても魅力的なポイントだと思うのだ。よく『江戸の下町のジイちゃんは熱湯好き』なんて描写をされるが稲荷湯はそれを体言している。江戸っ子はせっかちだから熱い湯にざっと浸かって短い時間で湯からあがるということらしいがその考えからすると滝野川の住民はどれだけせっかちなのかという話だ(笑)。たまたま自分が湯に浸かったその日は開店直後の一番風呂入浴だったせいもあり、とくに高い温度状態。ぬる湯44℃、あつ湯48℃と温度計で読み取れた。豊島区、北区などにあるいろいろな下町銭湯に入るがここまで熱い湯は他に体験したことが無い。思わず口元が微笑んでしまった。なんとカッコイイのだろう。俺も絶対にこの湯に水を足さない。だってここは滝野川だもの。普段は熱湯好きで「ぬる湯なんて浸かってられねーよ!」と熱湯好きキャラを豪語する俺だがここにはかなわない。あつ湯のほうには1分と浸かっていられない。30~40秒程度で「ハァッ、クラクラする」と耐えられなくなり湯からあがる。水風呂は無い。ボーっと上気したまま高い天井やペンキ絵を眺め、木桶のカコーンという音を楽しむ。いやぁ、たまらない。
なお、木桶と書いたが滝野川稲荷湯では東京の銭湯で良く見かける黄色い「ケロリン」タイプの湯桶を使わず木の湯桶を使っている。毎日綺麗に磨かれて、画像のように乾燥させている。ぬめりなど皆無。これも稲荷湯流のおもてなしなのだと思う。


稲荷湯の木桶


また、ここ稲荷湯は井戸水を利用して湯にしているのも売りの一つ。北区の銭湯では現在も井戸水を利用しているところが多くあるのだが、これは石神井川の水脈と関係があるのだろうと勝手に考えている。北区滝野川や王子本町の細い裏路地散策をしていると現在も使用可能な井戸がまだまだ残っている。明治から昭和初期にかけて軍事施設や大規模な工業施設がこの周辺に集まったのはこの豊富な水源があったことと無関係ではない。

その他にも魅力的に写った情景をいくつかピックアップ。


下段の窓は新たに作り変えられている  若輩者は手出し無用のマッサージチェア(笑)


ペンキ絵の銘  洗い場の空間


稲荷湯ブラシ  入浴マナー書き


最後に古銭湯めぐりのお約束『オレインザミラー』でシメ。


滝野川稲荷湯オレインザミラー


この風景の中に自分が存在した画像を残せたことを嬉しく思う。
写真撮影で時間を頂いた際にもご主人はひっきりなしに動き回って開店の準備をされていた。約束の13時に訪問させていただいた時には既に浴槽や木桶の掃除は終えられていたようなので午前中の早いうちから開店の準備にとりかかるのだろう。
稲荷湯さん、忙しい中お時間をいただきありがとうございました。


稲荷湯看板



----------------------------------------------------------------------------------------------------



冒頭でも触れたがこの滝野川は自分には馴染みの深い地域である。この辺りを歩く事も多いのだが、とても魅力がたくさんある地域なのだ。もしあなたがこの滝野川稲荷湯を訪れるのが初めてならば合わせて近辺の散策をお勧めする。

この付近には旧来の街道筋である『中仙道』が通っているためそういった街道の風情を残す建物もいくつか残存する。なお、この古い街道筋は現在は旧中仙道と呼ばれている。おばあちゃんの原宿と呼ばれる巣鴨地蔵通りはこの旧中仙道である。巣鴨駅から地蔵通りを真っ直ぐに北上し、都電をまたぎ、明治通りを越えた辺りがこの滝野川という地域になる。更にそのまま北上を続けるとJR板橋駅の横を抜けて板橋区仲宿に至る。その仲宿辺りが中山道一番目の宿(しゅく)であった板橋宿だ。こういった予備知識を入れてから滝野川の町並みを見るとなるほどとうなづける部分が発見できるのではないだろうか。)参考までに以下は滝野川6丁目に残る古い建築物。


北区滝野川の日本家屋


北区滝野川の日本家屋  北区滝野川の日本家屋

※この建物は2010年12月に取り壊され、この世から消滅してしまいました。調べたところ大正初期の建築だったそうです。建物が取り壊されてしまった際の様子も別エントリーにまとめてありますので興味のある方は以下のURLもどうぞ。
消えゆくもの【03】北区滝野川6丁目、旧中仙道沿いの古民家


下のようにわずかではあるが街道筋の面影が残っている建築物もある。


北区滝野川の建物


北区滝野川の建物  北区滝野川の建物


こちらも滝野川に残る素晴らしい建物。建築時期は稲荷湯と同じ頃といった印象を受ける。


区滝野川の日本家屋


区滝野川の日本家屋  区滝野川の日本家屋


また、稲荷湯のしろくまエアコンの上に鎮座しているみみずくタワシだが・・・・


稲荷湯にあるみみずくタワシ


これも滝野川にある『亀の子束子西尾商店』で販売しているものだ。


亀の子束子西尾商店


亀の子束子西尾商店


このように魅力的な光景が残る北区滝野川6丁目だが、なんと現在大きな再開発が進行している真っ只中だ。高さ100メートル近い高層マンションが6丁目にできるのだ。2010年10月現在、現地はこんな状況だ。


滝野川6丁目計画


計画通りに進行すれば来年秋から建設が始まると言う事か。


滝野川6丁目計画現地、2010年10月の様子
滝野川6丁目計画現地、2010年10月の様子。遠くに見える高いビルは池袋のサンシャイン60。


この開発にはもちろん賛成派、反対派それぞれに主張がありどちらの主張も理解することはできる。一個人の意見としては「頼むから稲荷湯への人の流れが変わってしまう様な開発はやめてくれ」という気持ちだ。この開発との関連性は不明だが、同じく滝野川6丁目にあった豆腐屋さんは2010年4月に、同じく6丁目の千葉酒店は2010年8月を持って店を閉めた。


滝野川6丁目にあった豆腐屋さん


滝野川6丁目にあった豆腐屋さん  滝野川6丁目にあった豆腐屋さん


そして下が千葉酒店。


滝野川にあった千葉酒店


滝野川にあった千葉酒店  滝野川にあった千葉酒店


滝野川にあった千葉酒店


ハードディスクを見ていたら過去に千葉酒店が営業されている頃のものが出てきましたので下に貼っておきます。
2010年12月23日追加。


滝野川6丁目千葉酒店



画像によって少しはリアルさが伝わっただろうか。豆腐屋さんの建物はもう既にこの世から無くなってしまった。2010年の北区滝野川6丁目は開発の真っ只中にあるのだ。

稲荷湯が時代に反するようなスタイルのまま営業し続けていることは本当に大変なことなのだと痛感する。是非この地域の雰囲気を含めて滝野川稲荷湯を楽しみたい。

以前のエントリーで書き残している千住とも、十条とも、ましてや目白台とも異なった滝野川気質がそこにはある。バリバリのあつ湯に身を浸し、肌がチリチリする感覚と共に滝野川を楽しんで欲しい。



北区滝野川 稲荷湯






----------------------------------------------------------------------------------------------------


【補足、解説】

※折り上げ
伝統的な日本建築の天井の造りかたのひとつ。詳しくは以前の銭湯エントリー東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【2】北区上十条・久保の湯の文末を参照のこと。

※『滝野川』について
一口に「滝野川」と言ってもその範囲は非常に広く、番地が異なると町の雰囲気も大きく異なります。例えば前述のように稲荷湯のある滝野川6丁目、7丁目周辺は街道筋の影響が見て取れるエリアですが、滝野川2丁目はどちらかというと上中里や田端とのつながりが深い飛鳥山からの影響が大きいエリアです。裏路地マニアな方には滝野川3丁目、4丁目辺りがお奨めです。(3丁目、4丁目周辺は戦前の軍事施設があった場所のため戦後復興時に木造建築が多く建てられました。そういった建物が現在でもわずかに残るのがこの辺りです。)

※『滝野川稲荷湯』という呼称、表記について
今回のエントリーでは「滝野川稲荷湯」というように地名を冠にしてこの稲荷湯の事を呼んだが、これは稲荷湯という銭湯が他にも多数あるため混同を防ぐ狙いでこのような表現を使っている。実際にこのようには呼ばれていない。



にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村

「滝野川という所も面白そうじゃないの」なんて感じてくださった方は是非クリックをお願いします。



当エントリーは東京に古くからある古銭湯を探訪する銭湯関連エントリーの第3回目です。当エントリー以前に、
【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【1】古銭湯探訪とその魅力】
【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【2】北区上十条・久保の湯】
があります。





それでは今回も自分が魅力的だと感じた古銭湯を書き残していこう。今回は昭和初期の銭湯建築が見事に残る文京区の月の湯についてだ。


★『月の湯』

文京区目白台3-15-7

有楽町線「護国寺(ごこくじ)」から徒歩6~7分程度。地図上で見ると都電の「早稲田」も近く見えるが早稲田方面から目指した場合、都内でも有数の勾配をほこる坂道を上るアクセスルートになるため足腰の弱い方にはお勧めしない。また歩くことに抵抗が無いのであれば山手線目白駅から目白通りを20~25分程歩いても行ける。

2010年10月9日現在、火・木・日曜日の週3日のみ営業


文京区目白台『月の湯』


さて、今回ご紹介するのは東京古銭湯の中でも有名な文京区目白台「月の湯」だ。代表的な東京トラディショナル銭湯と言える。俺のような古銭湯初心者は是非訪問しておきたい場所だ。

その日月の湯を訪れたのは日曜の15時50分頃。開店の直前という時間帯であった。まだ陽は落ちていなかったため興奮しながら建物をカメラに収めていく。昭和8年に建てられたという見事な建築は都内の銭湯の中では最古級の建物だそうだ。
改めて建物の正面からツラ構えを見ると2階部分は千鳥破風、玄関上の屋根部分が曲線を描いた唐破風の造りという寺社仏閣を思い起こさせる見た目である。番台などにも見られる意匠なのだが、唐破風にも見られる曲線の造形はこの銭湯を表すイメージだと感じた。懸魚(げぎょ)(※1)はついていない。


月の湯全景


月の湯外観  月の湯外観


月の湯外観  月の湯外観


月の湯外観


もし訪れたのが昼間ならば建物に入る前に外観をじっくり楽しみたい。
都内にある多くの古銭湯は時代に合わせるように改築されたり、古く危険な部分は撤去されたりして建築時そのままの姿が残る物は少ない。例えば昔は銭湯に数多く見られた坪庭(池)スペースは潰されて、その部分はコインランドリーとして利用されている場合も多い。また老朽化した建築材が新たなパーツに交換されているものもよく目にする。そんな中にあってこの月の湯は当時のままの姿が十分に楽しめる見事なものだ。(もちろん月の湯の建物も補修、改築などされているが最小限に留められている)
綺麗なまま残る鬼瓦、木枠のすりガラスや見たことの無い形状の雨どいにもテンションがあがる。

思わずニヤニヤしながらカメラを構えていたところ、1人の女性が銭湯の入り口から表にでてきて10mほど離れた場所にいたヨロヨロと歩いているお爺さんの手をとってゆっくりと歩行を促しながら銭湯の中に入っていった。お爺さんの年の頃は90歳くらいだろうか。この際、女性が俺に向かって「良い写真は取れましたか」と声をかけてくれた。そこからこの女性は銭湯の身内の方でお爺さんは一番風呂を楽しみに来たお客だと理解できた。


月の湯でのヒトコマ


早速のハートウォームな展開にグワッと一気に気持ちが高揚したのだがこのまま銭湯内に入ってしまうとハジけすぎてしまうと思い、30秒ほど自分を落ち着かせてからのれんをくぐる。でもやはり靴箱や年季の入った鍵をみているとまたテンションがあがってしまう。


目白台月の湯エントランス


こんな下駄箱スペースは他に見たことが無い。下駄箱、傘入れを含めてこの空間の味を作っている。


月の湯下駄箱周辺  月の湯下駄箱周辺


月の湯下駄箱周辺  月の湯下駄箱周辺


靴箱に靴を押し込み「こんにちはー」と声をかけて男湯のドアをくぐる。
番台向かって「先ほどはどうも」と挨拶を交わし代金を支払う。いよいよ異空間に足を踏み入れた。


脱衣場に入ってまず目に飛び込んできたのは大黒柱に鎮座する立派な柱時計と高い折り上げ格天井だった。


月の湯の柱時計


「すごい柱時計だな」と感じ、少し視線を落とすとそこには『福助さん』。うわー、ビリビリ来る世界観だ。

天井をしばし眺め、改めて脱衣場全体を見渡す。


月の湯「折り上げ格天井」  月の湯 男湯入り口


月の湯の脱衣場  月の湯の脱衣場


人々は体をの汚れを落とすため戦前からこの場所に通っていたワケだ。家湯の無かった時代に人々がここに集まり様々な会話を交わして交流しあっていた文化があったことを容易に想像できる。そのように時代を回想したい人間も月の湯には集まってくる。そうやって集う人々の想いも受け止めて奥さんは番台にすわっていらっしゃるように見えた。俺が訪れた際もこの建物の造りを写真に収めたいと申し出ると、「お客さんが少ない今だったら」と写真撮影を承諾してくれた。(この日はどうしても銭湯の内部をデータに残したいと考えていたため開店と同時に訪問していた。15時50分にここに来たのはそのような意図から。)俺のような視点でこの月の湯を楽しむタイプの輩の心情も理解してくれていた。気さくな奥さんとはすらすら会話が繋がり、画像をカメラに収めながら世間話を楽しんだ。


月の湯の体重計  脱衣場から見るすりガラス


魅力的な銭湯であればどこでも言えることなのだが、ここでは特にゆっくりと着替えを行いたい。脱衣場の様々なパーツのディテールを楽しみながら雰囲気を噛みしめて服を脱ぎたいからだ。ひとつ面白いのはここには脱いだ服を入れるためのロッカーが無いこと。湯治場や旅館の大浴場を想像すると伝わりやすいと思うのだが、脱いだ服を籐カゴに入れそのカゴを棚に入れておくタイプのもの。これが旧来の江戸銭湯のスタイルなのだろう。目白台という古くからの落ち着いた土地柄のせいもあるのだろうが、番台があるからこそ続けられるスタイルなのだなあと感慨にふける。(番台ならば悪さをする奴がいないかも目を配れるため)例えば近所にある普通の銭湯に行って、携帯電話や財布の入った荷物や着替えをそのまま放置して風呂に入るのには抵抗があるし多分できない。下の縁側を写している画像では常連客の方が着替えを入れたカゴを棚に入れず、床に放置している様が見て取れる。これができてしまうのも月の湯という空間ゆえだろう。


放置された常連さんの着替え  脱衣カゴは棚に入れておく


わくわくする気持ちを抑え、冷静に洗い場へ。風呂場には先客が4人。一番風呂のお爺さんは無言であつ湯に浸かっていた。このコミュニティーの雰囲気をつかもうとしばらく周囲を観察する。六角形のタイルだとか(珍しい)、カランの土台壁の角を削ったタイル張りのスタイルだとか(珍しい)、立てひざでは水面に顔が潜ってしまいそうな深さの小さな浴槽だとか(東京では珍しい)そういったものを楽しんでいると、洗い場で上座にいたおじさんが話しかけてきた。年齢は60前といったところか?俺の使っていたシャンプーセットが100円ショップで買ったものだというところから一気に親近感を抱いてくれたようだ。おじさんとも15分ほど会話。この近所に住んでいて月の湯を使うのは日常とのことだった。このおじさんと会話を続けていると一番風呂のお爺さんが「お先にね」とおじさんと俺に声をかけ、とゆっくりと風呂からあがっていった。やはり常連の方は顔見知りなのだ。銭湯でこのように声を掛け合う文化の輪の中に自分も入れたことについ顔がほころんでしまう。

いつまでもこの雰囲気に呑まれていたいという気持ちからつい長湯をしてしまった。クールダウンを求めて湯からあがる。


月の湯脱衣場


湯からあがれば脱衣場に3~4人の子供。子供は服を脱ぎながら番台の奥さんと話をしている。このノリなら問題ないと俺も横から会話に参加し、5分ほど子供と会話。奥さんは一番風呂のお爺さんにも小学校2年生くらいの子供にも同じように声をかけていた。俺はパンツとTシャツという無防備な格好で縁側のイスに座りクールダウン。


月の湯の庭


残念だがこちらの庭にある池には水が張られていない。水を張って生き物を管理してというケアに手間がかかりすぎてしまうからだろうか、それとも別の理由があるのだろうか。それでも縁側はキチっと手入れされており、日が沈めば軒につられた提灯に灯が入る。提灯の灯りにぼうっと照らされた縁側もまた情緒にあふれて魅力があった。


そういった全ての気遣いや、ビシっと残る建築物は文京区目白台という地域を体現しているようにも思う。洗練されている。


月の湯のことをもっと知ろうとWEBを巡っていたところ、とても雰囲気が出ているスライドショーを見つけたのでURLをご紹介。当ブログよりも断然綺麗な画像だ。
ひとつ気になったのはこのスライドショー内では福助の上に柱時計が掛かっていないこと。どうしてなのだろう。修理に出した柱時計を元の位置に戻したので現在は柱時計があるとか、そういうことだろうか?


■文京区「月の湯」スライドショー (月の湯さんのサイトではありません)
http://picasaweb.google.co.jp/wamezo.event/SSHsQD#slideshow/


ここ月の湯には前エントリーで書き残した『北区上十条・久保の湯』と同じようにガラス広告が残存している。しかもそのコンディションは久保の湯にあるものより良い。綺麗に保っていこうとする意思が読み取れた。


月の湯ガラス広告


少し話がそれてしまうが、東京都小金井市には歴史的に意味のある建造物を移築して残存させる『江戸東京たてもの園』という施設があるのだが、そこには「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルになった銭湯が移築されている(もともとは足立区千住にあった子宝湯)。この子宝湯の内部にも類似した広告があるのだが月の湯のソレは子宝湯のものと比較しても決して見劣りしない。いや、やはり千住の銭湯と目白台の銭湯の違いなのか月の湯のもののほうが洗練されている。(どちらが良いとかどちらが上だとかそういうことではありませんよ)


子宝湯広告
※上の画像は江戸東京たてもの園内にある子宝湯に設置されている看板です。

■江戸東京たてもの園 wikipedia解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%9F%E3%81%A6%E3%82%82%E3%81%AE%E5%9C%92


たてもの園で余生を送る子宝湯の建築は昭和4年(1929年)。ほぼ同時期に建築された月の湯は現在も営業を続けている。この時代の建築はそうやって保存されるくらいに価値があり、職人の思いが込められた建造物だと言うことだ。そういった建物で現在も実際に湯に浸かれるとはなんともありがたい。蛇足となるが子宝湯は昭和63年まで営業を続けていた。正に昭和の時代に生きた銭湯だったのだ。

このような幸せな空間を楽しみながらお約束の「オレインザミラー」で今回もシメ。『月の湯の空間の中にいる俺』を切り取ることができてとても満足。脱衣場の空気感とか花嫁石鹸とかたまんねっすね。今回は庭の灯篭(とうろう)まで一緒に切り取ることができたのでより空間に奥行きができた。


月の湯俺 in the ミラー


正に身も心も温まった状態で満足感に包まれて目白台を後にした。

450円支払えばこういった雰囲気を楽しみながら湯に浸かれるのだ。深いほうの浴槽に中腰で立ちながら過去に思いを馳せよう。個人的にはこの湯に来たらその場を利用している人たちとの会話も楽しみたいと思うが、もちろん一人きりでおとなしく他人とのかかわりを持たずに利用することも可能だ。こちらから「会話したくない空気」を出していれば奥さんも話しかけてこないだろう。銭湯の番台に座っている方というのはそこに集まってくる人々を日々見続けている百戦錬磨。様々な性格の人が集っていることなど百も承知だ。月の湯の奥さんも誰彼かまわず話しかけてくるタイプの方ではない。ゆっくりと自分のペースで月の湯を堪能したい。


最後に営業時間の注意。
本エントリーの冒頭にも書いたが2010年10月現在、月の湯は週3日しか営業されていません。ご訪問の際にはお気をつけください。参考までに現在の営業時間は以下の通り。

・日曜日 16:00~23:00
・火曜日 17:00~22:00
・木曜日 17:00~22:00


--------------------------------------------------------------------



用語解説

※1 懸魚(げぎょ)
破風(はふ)の三角部分にしつらえられた文様板のようなもの。画像は東京の古銭湯でよく見られる蕪懸魚(かぶらげぎょ)。野菜の蕪(かぶ)に似ているところからそう呼ばれるのだそうだ。

懸魚(げぎょ)とは

なお懸魚については以下URLに詳しい。

■懸魚の形態と由来
http://www3.ocn.ne.jp/~toto/index.html
※懸魚研究をされている方の分析ページ。分類された懸魚のデザインがとても美しい。こういう角度から和風建築を見るとそこから受ける印象も少し変わると思います。


その他、専門用語などに関しては前回のエントリー【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【2】北区上十条・久保の湯】の最後をご確認ください。




にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村

「たまには古い銭湯に行ってみるのも悪くないな」なんて感じた方はポチリとクリックお願いします。



当エントリーは銭湯関連エントリーの第2回目です。初回のエントリー【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【1】古銭湯探訪とその魅力】にて古銭湯探訪のきっかけを記しています。



それでは前回のエントリーでも書いたように、訪れた際に特に感動を覚えた銭湯をデータ化していこうと思う。
始めに銭湯のデータを書く前の留意点など 。



・東京の古銭湯は日々消滅しています。ものすごい勢いです。これから当ブログで書き残していく銭湯もいつ入浴できなくなってしまうか分かりません。もし興味を持たれて訪問を考えた方は営業曜日や営業時間などを事前に確認してから訪問されることをお勧めします。
・参考までに以下URLは板橋区の公衆浴場組合が情報提供してくれているページです。この中に廃業してしまった板橋区の銭湯情報があるのですがその情報によると銭湯最盛期だった昭和40年前後から現在までに板橋区内だけで130件が廃業したとなっています。営業当時の画像リンクも数点あるのですがその中には魅力的な銭湯が多数見られます。残念な気持ちで一杯になります。多分コレは浴場組合に登録された店舗の情報でしょうから実際に消滅してしまった銭湯はもっと多いでしょう。それほど銭湯は現代社会に必要とされていないともいえます。
■板橋区公衆浴場組合ホームページ内 「幻の銭湯一覧」
http://www010.upp.so-net.ne.jp/TK1010-itabashi/framepage9.html
・銭湯や建物の専門用語などはエントリーの最後でまとめて行っています。より深く掘り下げたい方はそちらもご確認いただければ一気に世界観が広がります(笑)。
・俺の銭湯の楽しみ方は雰囲気、情緒などを重視するタイプです。少々年季が入っていようとも、使い勝手が良くなくても、湯(浴槽)の数が少なくてもその銭湯の過去が見えてくるようなものであればそれを良しとしています。
・一人静かに湯に浸かりたい気分のこともありますが、大概はそこに通う方々とのコミュニケーションを期待しています。俺は常連の方と会話ができたり番台の奥さんと会話ができることを喜ぶタイプです。
・そんなわけで湯の「水質」や「効能」という部分に関しては知識もないためふれる事は少ないです。




『俺基準』は概ねこんな感じだ。
それでは以上の様な嗜好で判断されたいい銭湯を記録に残していこう。


---------------------------------------------------------------------------------


★『久保の湯』

東京都北区上十条2-8-16


北区上十条「久保の湯」


古銭湯の魅力を気づかせてもらった場所。もうここには個人的な思い入れが強くあるため冷静な判断はできていないのだが、とても地元感にあふれており魅力がコンパクトにつまった良い銭湯だと感じている。自分の中では現在でも特別な場所だ。JR十条駅から程近い住宅街にあり、メインの通りから少し路地を奥に入らないと見つけることはできない。なお、前回のエントリーで使用しているのれんが掛かった銭湯入り口の画像はここ、久保の湯のものである。銭湯内に入る前に見事なシンメトリーも楽しんでおこう。

これは特に久保の湯に限ったことではないが前述のように東京の銭湯、なかでも古銭湯はいつ無くなってしまうか分からない。常に「この場所を体験できるのはこれが最後になるかもしれない」という事を頭のどこかに置いて空間を楽しんでいきたい。
この上十条という地域ももともとはすぐ近くに陸軍の軍事施設(現・自衛隊十条駐屯地)やその関連工場、また民間の製紙工場や光学機器工場などがあり、労働者が多い地域であった。過去にはそういったお客さんであふれていたのだろうが、現在はお客さんもまばらである。


久保の湯外観  久保の湯、横からの眺め


久保の湯外観3  久保の湯外観4


久保の湯のディテール05  久保の湯外観6


久保の湯ディテール01  久保の湯ディテール02


お客さんの大半は近所の人、脱衣場の広告は十条や王子ローカル広告といった地元の波動がガツンと伝わってくる。千鳥破風(※1)の造り、ピカピカしている折り上げ格天井(おりあげごうてんじょう)(※2)、大黒柱の柱時計、年季の入った体重計や扇風機など古銭湯の魅力がぎゅっとつまっており昭和の雰囲気が色濃く残っている。また縁側と庭(池)があるのも嬉しい。銭湯に行く習慣の無い方にはちょっと色が"濃すぎる"かもしれない空間である。


北区久保の湯_見事な格天井


この天井が「折り上げ格天井」。左右のRを描いている天井部分のことを『折り上げ』というのだそうだ。


久保の湯ディテール04  久保の湯ディテール05


大黒柱には立派な柱時計。
窓は木枠ではなくアルミのサッシに変更されている。梁にあるポスターを見れば王子の「王子シネマ」や中十条の「篠原演芸場」のポスター。古臭いポスターをわざと集めて昭和の雰囲気を作っているのではない。どちらのポスターも現行の広告である。これがこの地域のリアルなのだ。2010年のポスターのはずなのに周囲からういていないのは全くもって見事。


久保の湯ディテール06  久保の湯ディテール07


久保の湯の体重計  美しい扇風機


好きな人にとってはこの空間はミュージアムのようにも写るだろう。浴槽も2つしかない小さな地元密着の銭湯ではあるが「よくぞここまで生き延びてくれている」という感覚で捉えると、過去をそのまま体験できているような錯覚に包まれる。このAsahi社製の扇風機から発せられる波動はどうだ。
服を脱ぎながら、こういったポイントやピカピカの折り上げ格天井を眺めるのが良い。


久保の湯ディテール08
※上記の入浴料は2010年10月2日現在のものです


そんな雰囲気を楽しみながら洗い場に向かう。

ここには都内ではやや珍しい深い浴槽がある。熱めの深湯に中腰で浸かりながら洗い場の空間やペンキ絵を楽しもう。


風呂からあがったら当然縁側で・・・・


久保の湯の縁側


こうだ。


池を見ながら脱力


見栄をはったりカッコつけたりする必要の無いこの場所での脱力はとても心地好いと思うのだ。


久保の湯の坪庭  縁側から見た久保の湯の内側


ソファー前のテーブルに置かれている週刊誌のセレクトも非常にリアル。


久保の湯、テーブルの雑誌


ハァー、痺れるな~(笑)。間違ってもdancyuやMONO Magazineは置いていない。


脱衣場の男湯と女湯を仕切る鏡の上にあるガラス板のローカル広告も必見。これを残してあるところに大きな意義がある。


久保の湯のガラス広告1  久保の湯のガラス広告2


向かって一番左の絵に至ってはもはや広告ですらなく単なるイメージイラスト。なんてドリーミー!見事な心理操作アドである(勝手にそう思いこんでいるだけですけれど)。どなたか女湯サイドのガラス広告もアップしてくれませんか?(笑)

入り口は番台からフロントタイプに作り変えられている。(※3)


銭湯足跡残しのお約束「オレインザミラー」で久保の湯のシメ。名入りの鏡がまた見事。


オレインザミラー北区久保の湯



----------------------------------------------------------------------------------------------



なお余談となるが、この久保の湯と、古くから十条にある大衆酒場として居酒屋界では有名な「斉藤酒場」は徒歩で5分と離れていない。斉藤酒場で一杯やってから久保の湯のコンボは十条の魅力を深く感じることのできるコースだと思う。(もちろん泥酔状態で銭湯はダメですよ。あくまでホロヨイで。はい。(笑)


十条「斉藤酒場」  十条「斉藤酒場」
※この日は煮こごりをアテにヒヤ酒。この一枚板の年季の入った木テーブルを一人で独占できている状況は非常にめずらしい。というか奇跡。


また、呑まない人でも十条にあるいくつかの商店街を歩けばその町の雰囲気から十条っぱさが十分感じられる。こういった部分も味わうことでよりいっそう久保の湯のありがたさが感じられるのではないだろうか。



----------------------------------------------------------------------------------------------

[用語解説]

エラそうに書いてるけど以下のような言葉は俺も最近覚えたばかり。まだまだ知らない事が多い状態です。日本建築文化、銭湯文化は深いですね。


※1 千鳥破風(ちどりはふ)
破風とは簡単に言うと屋根が合掌している三角の部分の造形を指す。千鳥はいくつかある破風の形式の一種。
この部分のこと ↓

破風

詳しくはウィキをドウゾ。
■wikipedia 「破風」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E9%A2%A8

※2 折り上げ格天井(おりあげごうてんじょう)
古銭湯では脱衣場の天井にある、伝統的な寺社建築で見られる天井の様式。格子状に木組みして天板を張る。「折り上げ」とは壁と天井の接合部分に作られる曲線を持った形状。この折り上げ部分があると俺のテンションが更に上がる(笑)詳しくは以下をドウゾ。
■wikipedia 「天井」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BC%E5%A4%A9%E4%BA%95
■丸平建設株式会社 ホームページ内 語句解説「折り上げ格天井」
http://www.maruhei-takumi.com/faq/faq026.htm
こちらのURLは岐阜県にある寺社仏閣を扱う建設会社へのリンク。コチラの格天井の説明がとても分かり易かったのでリンクを貼らせていただいた。

※3 フロントタイプ、番台タイプの入り口の違いについて
フロントタイプと番台タイプの入り口の違いを簡単に説明すると、お店の方がどちらを向いて客を迎えるかかが異なっている。フロントタイプは昨今の銭湯に多いタイプで玄関方向(店の外側)を向いたフロントカウンターでお客さんを迎えてくれる形が多い。たいてい脱衣場の外側に作られる。一方番台タイプは脱衣場の内側に設けられ、お店の方は店の中心(脱衣場、湯船のある方向)を向いてお客を迎えてくれる。番台タイプの場合、店の方が男女両側の脱衣場を見渡せる造りになっている。古銭湯であっても久保の湯のようにエントランス部分だけ番台からフロントタイプに作り変えている銭湯もある。




にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村


さて、今回は最近ハマっている事について記録に残しておこうと思う。

何にハマっているのかというと『銭湯』だ。
2010年10月9日(土)~10月11日(月)は三連休だったが、この休みの間にも3件の銭湯を訪ねたくらいにハマっているのだ。


東京銭湯序


もともと俺は銭湯が好きだ。
広い湯船で手足を伸ばして脱力できる風呂というのはとても心地よく、疲れた体をほぐすにはもってこいの環境だと考えていた。しかし、ある時点まではそこまで銭湯に入れ込んでいたわけではなく、1ヶ月に1~2回近所の銭湯に行く程度の銭湯利用に留まっていた。

ではどこでその嗜好に変化が起きたのか。話は2008年春の事だ。

俺には下町やディープなソウルがあふれる町の魅力を俺と似た感覚(センス)で捉えている友人がいる。以前のエントリーでも書き残したことがあるが、コイツとは遊び方に共通する点が多いため一緒に遊ぶことが多い。(参考までに以前のエントリーはコレ↓)

■6月の散歩ウィーク2~高島平編 【@熱帯環境植物館】
http://3pomaniax.blog116.fc2.com/blog-category-13.html

で、この友人とはお互いが知っている『良和みスポット』を教えあい、自分の知らないチル場(ちるば)を交換し合ったりもしている。(例えば上記の熱帯環境植物館は俺からのプレゼン。)
そんな彼と2008年春に遊んでいた際に「最近アツい(熱中している)のは何か?」という話題になった事があった。俺はその頃近所にある銭湯に行くのに凝っていたため「銭湯がキている」と返答した。すると友人はこの発言に大きく食いつき、ならば自分の知っているとっておきの和み銭湯を教えやるという流れになり、ある銭湯に連れて行ってくれたのだ。

彼は東京都北区十条仲原に生まれ、15歳までそこで育った。そんな彼が教えてくれたのはJR十条駅からそう遠くない北区上十条にある銭湯であった。彼は「十条にもいろいろな銭湯があるけど俺たちが楽しめるのはこういう所でしょ!」とそのとても古い瓦屋根の銭湯を紹介してくれた。その場所こそが【3poManiax on Twitter 20101002「爆発、地元愛散歩」】のエントリーでも訪れている『久保の湯』だったのだ。

小さな頃からこの湯を利用していたと言う彼は自信満々で俺をこの銭湯に導き、思惑通り見事に俺は久保の湯にやられてしまった。
「古い建築物や無くなってしまいそうな町並みが好き」という俺の嗜好と「湯でチルできる」という2つの欲求が同時に満たされるこの古銭湯(※1)での入浴に俺はすっかり魅せられてしまったのだ。

このような経緯で現在の『銭湯好きな俺』が形成されているため、例えばスーパー銭湯であるとか、マンションの1F部分にキレイに作られた設備の整った近代的な銭湯などは訪問の対象から外れることが多い。そのため次エントリーから記録化していく銭湯は利便性を求めて利用しているのではない事を補足しておく。ジェット風呂、バブル風呂、薬湯、サウナに壷湯に露天などスーパー銭湯に見られる豪華さは無いが、人為的に作ろうとしても決して生み出せない味がそこにはある。単純に建造物の古さだけではなくその銭湯を利用する人たちとの繋がりなどはどうやったて作り出せるようなものではない。そういった雰囲気を味わいながらの入浴が最高に気持ちよいのである。(スーパー銭湯や立派な銭湯もソレはソレで好きですが、古銭湯の楽しみ方とは全く異なったものだと捉えています。)

次回のエントリーから数回にわたって強く感動させてもらった銭湯の事を書き残したいと思う。
最初はまず当エントリーでも名前を出した北区上十条『久保の湯』から始めよう。


---------------------------------------------------------------------------------------


※1 古銭湯(こせんとう)
このブログでは自分が好んで訪問するような古くから残存している銭湯のことを「古銭湯」と表現していきますが、これは便宜上勝手に付けた呼び名です。古銭湯の定義もあいまいですし、本当にそのように呼ばれているかは定かでありません。




にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村


  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。