上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
当エントリーは東京に古くからある古銭湯を探訪する銭湯関連エントリーの第4回目です。当エントリー以前に、
【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【1】古銭湯探訪とその魅力】
【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【2】北区上十条・久保の湯】
【東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【3】文京区目白台・月の湯】
があります。




★『稲荷湯(滝野川)』
 北区滝野川6-27-14
  都営三田線西巣鴨駅から徒歩5分ほど
  都電庚申塚電停から徒歩10分弱
  埼京線板橋駅から徒歩10~15分ほど


今回記録に残す銭湯は前回のエントリーの文京区「月の湯」よりも更に古い昭和5年建築の建造物が残っている。このエントリーを書いた2010年で築80年。これまで自分が訪れた古銭湯の中では最古の建築物だ。
(銭湯という業種をもっと以前からやっているお宅はあるが建て替えなどによって古来の建造物はなかなか残存していない。もしこの月の湯よりも古い建物の残る東京の銭湯をご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えてください。)


稲荷湯 正面


この滝野川稲荷湯は俺が2010年10月現在住んでいる場所から徒歩15分ほどの距離にある。古銭湯としては自宅から最も近くに位置している。やや距離はあるものの徒歩圏内にこういうものが残存していることをちょっと自慢したくなってしまうくらいだから、同じ町内や近所に住む人はこの湯が残っていることをきっと誇りに思っているんじゃないだろうか。

このところの個人的な古銭湯ブームの情報収集でいろいろな銭湯サイトや昭和初期の東京の地域情報などを見る機会が多いのだが、そういった銭湯情報サイトの中にこの滝野川稲荷湯の建物についての歴史を掲載されているサイトがあった。銭湯ファンの方にはいわずもがなの銭湯情報サイトである。このサイト内の滝野川稲荷湯の紹介の中には実際に建築に携わった身内の方からのコメントも載せられている。稲荷湯を訪れる際にはこの知識を入れておくことで感動の度合いが変わってくると思うのでURLをご紹介しておく。戦前の『東京市滝野川区』であった時代からの滝野川の歴史を想像する一助になる。

■「東京レトロを行く」銭湯コンテンツ内、北区滝野川 稲荷湯
http://www5e.biglobe.ne.jp/~wadyfarm/kita43a.html
※膨大な量の銭湯情報をまとめられているサイトです。銭湯探訪の情報収集に利用させていただいております。

上記URLリンク先を見て、この稲荷湯の建物が昭和5年に建てられたものだということを知る事ができた。
戦前からこの地に稲荷湯はあったという部分から、当時の軍事関連施設との位置関係も把握したいと考え、以前のエントリーで『桐ヶ丘レポート』をまとめた際に自分が作った昭和初期の北区軍事施設マップと稲荷湯の位置を重ね合わせてみた。


北区戦前軍事施設と稲荷湯の位置関係
※画像クリックで拡大します


なるほど、確かに徒歩圏内に軍事施設はいくつもあるが、どの施設も稲荷湯には隣接していない。徒歩だと一番近い軍用地まで7~8分といったところか。この微妙な距離と位置関係が現在まで稲荷湯が存在できたことと関係があるのではないだろうか。稲荷湯がもっと軍用地の近くにあったのならば戦火に巻き込まれて消失していたかもしれない。
実際に湯に浸かりに行った際にも番台の奥さんに戦時中のこの辺りの話を聞いたのだが、やはり稲荷湯のすぐ近くにも焼夷弾が落ちていたそうだ。東京での空襲と言えば昭和20年3月10日のいわゆる「東京大空襲」が多く語り継がれているが、その約1ヵ月後の4月13日には東京の城北地区も大きな空襲を受けている。上のマップでも分かるように現在の北区滝野川や十条付近には複数の軍事施設があったことからこの地域は爆撃目標にされ、街は壊滅的なダメージを受けた。マップ内で稲荷湯の位置する北側に『滝野川稲荷神社』があるが、以前この近くにある個人商店の80歳くらいのおばあさんにこの地域の空襲の記憶を聞いた事がある。それによると稲荷神社から北側は現在JR十条駅のある辺りまで空襲を受けて町が燃えている記憶が残っているそうだ。
街の形が無くなってしまうような異常な状況も奇跡的に乗り越えて平成の現在まで存在し、営業を続けているのがここ滝野川の稲荷湯というワケである。

このようなバックボーンを知っておくとよりいっそうこの場所に深く想いを馳せることができるのではないかと思う。滝野川稲荷湯は紛う事無き唯一無二の存在なのだ。

では前置きはこれくらいにし稲荷湯のデータまとめに話を移していこう。


滝野川稲荷湯 建物横方向から
稲荷湯建築物を横方向から見るとこのような感じ


今回この滝野川稲荷湯の感動を記録に残したく思い、稲荷湯さんに銭湯内の画像を撮影したい旨申し出たところ開店前のお客さんがいない状態であればという条件で撮影を許可していただけた。ご好意に感謝したい。
それでは東京都北区滝野川にて450円で体験できる昭和の情緒をご紹介していこう。


まずは古銭湯めぐりの定番、外観の堪能からだ。
この滝野川の稲荷湯は入り組んだ住宅街の中にある。広い通りには面していないため建物の全景は把握し辛い。


滝野川・稲荷湯正面


客を迎えてくれるその建物の面構えはいわゆる典型的な「東京銭湯」タイプのどっしりした感じよりも洗練されて繊細な印象を受ける。のれんをくぐる前に細工の細部まで楽しみたい。
ちなみに俺の頭の中にあるいわゆる「東京銭湯」とは下の画像のようなイメージだ。


いわゆる東京銭湯建築:両国の弁天湯
両国(墨田区千歳)の「弁天湯」

いわゆる東京銭湯建築:千住の大黒湯
千住(足立区千住寿町)の「大黒湯」


そしてこちらが滝野川の稲荷湯の面構え。やはり雰囲気が違う。


北区滝野川『稲荷湯』


稲荷湯の面構えでもう一つ気に入っている点が意匠とは別の部分にある。
東京にある銭湯の多くでは入り口の横に自動販売機が置かれたり、選挙ポスターが貼られてしまっていることが多く、余計な情報も目に入ってしまうことがほとんどだ。(例にとった弁天湯も大黒湯も「面構え」の中に自動販売機も含まれてしまっている)そんな中でココ稲荷湯の面構えには機械やポスターなど現代を感じさせるものがほとんど写りこまない。これはお店のポリシーとして意図的にそうしているのではないだろうか。貴重な存在だと思う。入り口の横にあるコインランドリーや電線といったものを視野に入らないようにすれば想いを昭和初期に馳せる事も容易だ。


滝野川稲荷湯の屋根瓦  滝野川稲荷湯の懸魚(げぎょ)

外壁もところどころにダメージが見られる  滝野川稲荷湯、薪置き場

滝野川稲荷湯入り口のタイル  染め抜いた「いなり湯」の文字がなんとも粋

滝野川稲荷湯木組みの格子  滝野川稲荷湯入り口


ディテールをよく見ていくとやはり建築材は経年によって劣化しておりダメージを受けている部分も見られる。イコールこれは滝野川の歴史でもある。湯に入る前にこういった情報は自分の中に取り込んでおきたい。

ひとしきり外観を楽しんだらいよいよ銭湯の内部に歩みを進めよう。


稲荷湯エントランス


注意したいのはもう既にこの段階で稲荷湯の魅力が展開されているということ。
例えばタイルだとか、下駄箱のダメージだとか、人が触る(歩く)部分の木材の擦り切れだとか過去が偲ばれるものを見ることができる。是非ゆっくり楽しみながらのれんをくぐりたい。


滝野川稲荷湯男湯の入り口


番台を抜けて脱衣場に入ったらまずは天井およびこの80年ものの建築物の様を味わいたい。


滝野川稲荷湯の天井


これが昭和初期の建築だ。
折り上げ(※1)部分は無いが立派な格天井。
とても天井が高く、現代建築ではありえないその贅沢な空間の使い方にウットリしてしまう。また壁のしっくいも年月を経て落ち着いた風合いになっており、年季の入った建材と併せて空気感を作り出している。天井から吊り下げられた蛍光灯もよい味を付加させているなぁ。この空間はやはり外界と時間の流れが違う。これが80年も滝野川にあり続けている空間だと思うと感慨もひとしお。

また、それだけ年月を重ねているのに手入れはしっかりとされている。確かに建材は古いのだがそれはイコール「汚い」のではない。


滝野川稲荷湯脱衣場


感じるのは「お客さんに気持ちよくこの場所を利用してもらおう」という稲荷湯の心意気だ。建材は当然年期が入っているのだがきちんと手入れされ、上の画像を見ても床はピカピカの状態だ。またここ稲荷湯は現代的な手入れもされている。木枠のガラス窓がアルミサッシに変更されたり、ロッカーが新しく付け替えられているのは旧来の銭湯ではよくあることだが、例えば水槽に観賞魚がいたり、ロッカーの上には小さな観葉植物の鉢植えがあったりしてここ稲荷湯だけの味を作っている。


滝野川稲荷湯:ロッカーの上の水槽


滝野川稲荷湯のロッカー


うん、エアコンもピカピカ。近年取り付けられたものだろうか。
しかし日立製のコッチのエアコン(送風機)もしっかり残っているのが時代を重ねてきた証拠。こういうディテールがあるとないとじゃ深みがゼンゼン違いますって話だ。(笑)


日立のしろくまくんの元祖なのかなあ?


HITACHI FC-5800G Family Cooler


しろくまロゴもイカしてますね。

そしてもうひとつ嬉しいのは庭がきちんと残されている事。湯でほてった体のまま庭を楽しむ行為は古銭湯めぐりの大きな魅力の一つだと思うのだ。


滝野川稲荷湯の庭


そしていよいよ洗い場方向に目を向ける。
わざわざお時間をいただいて撮らせていただいたのがこの洗い場。
富士に向かって歩いて行くのですよ。シビれますねぇ。


滝野川稲荷湯洗い場

脱衣場と洗い場を仕切る引き戸の取っ手の形状や、介護イスを置いているところがやはり滝野川のリアルなのだなと感じる。多分スノコの高さだってなるべく段差が出ないように高さを考えられているものだろう。


稲荷湯のスノコ


浴槽は浅くて広いぬる湯と小さく深いあつ湯の二つだ。


稲荷湯の深い浴槽  稲荷湯浴槽  


深いほうにはこんな注意書きが。


稲荷湯のご注意


そう、ここのお湯は熱いのだ。
あつ湯好きの俺には嬉しい限りだが、その熱さはこれまでに巡った銭湯の中でも群を抜いている。非常にカッコイイ。あくまで個人の見解だが、湯温が高い部分もとても魅力的なポイントだと思うのだ。よく『江戸の下町のジイちゃんは熱湯好き』なんて描写をされるが稲荷湯はそれを体言している。江戸っ子はせっかちだから熱い湯にざっと浸かって短い時間で湯からあがるということらしいがその考えからすると滝野川の住民はどれだけせっかちなのかという話だ(笑)。たまたま自分が湯に浸かったその日は開店直後の一番風呂入浴だったせいもあり、とくに高い温度状態。ぬる湯44℃、あつ湯48℃と温度計で読み取れた。豊島区、北区などにあるいろいろな下町銭湯に入るがここまで熱い湯は他に体験したことが無い。思わず口元が微笑んでしまった。なんとカッコイイのだろう。俺も絶対にこの湯に水を足さない。だってここは滝野川だもの。普段は熱湯好きで「ぬる湯なんて浸かってられねーよ!」と熱湯好きキャラを豪語する俺だがここにはかなわない。あつ湯のほうには1分と浸かっていられない。30~40秒程度で「ハァッ、クラクラする」と耐えられなくなり湯からあがる。水風呂は無い。ボーっと上気したまま高い天井やペンキ絵を眺め、木桶のカコーンという音を楽しむ。いやぁ、たまらない。
なお、木桶と書いたが滝野川稲荷湯では東京の銭湯で良く見かける黄色い「ケロリン」タイプの湯桶を使わず木の湯桶を使っている。毎日綺麗に磨かれて、画像のように乾燥させている。ぬめりなど皆無。これも稲荷湯流のおもてなしなのだと思う。


稲荷湯の木桶


また、ここ稲荷湯は井戸水を利用して湯にしているのも売りの一つ。北区の銭湯では現在も井戸水を利用しているところが多くあるのだが、これは石神井川の水脈と関係があるのだろうと勝手に考えている。北区滝野川や王子本町の細い裏路地散策をしていると現在も使用可能な井戸がまだまだ残っている。明治から昭和初期にかけて軍事施設や大規模な工業施設がこの周辺に集まったのはこの豊富な水源があったことと無関係ではない。

その他にも魅力的に写った情景をいくつかピックアップ。


下段の窓は新たに作り変えられている  若輩者は手出し無用のマッサージチェア(笑)


ペンキ絵の銘  洗い場の空間


稲荷湯ブラシ  入浴マナー書き


最後に古銭湯めぐりのお約束『オレインザミラー』でシメ。


滝野川稲荷湯オレインザミラー


この風景の中に自分が存在した画像を残せたことを嬉しく思う。
写真撮影で時間を頂いた際にもご主人はひっきりなしに動き回って開店の準備をされていた。約束の13時に訪問させていただいた時には既に浴槽や木桶の掃除は終えられていたようなので午前中の早いうちから開店の準備にとりかかるのだろう。
稲荷湯さん、忙しい中お時間をいただきありがとうございました。


稲荷湯看板



----------------------------------------------------------------------------------------------------



冒頭でも触れたがこの滝野川は自分には馴染みの深い地域である。この辺りを歩く事も多いのだが、とても魅力がたくさんある地域なのだ。もしあなたがこの滝野川稲荷湯を訪れるのが初めてならば合わせて近辺の散策をお勧めする。

この付近には旧来の街道筋である『中仙道』が通っているためそういった街道の風情を残す建物もいくつか残存する。なお、この古い街道筋は現在は旧中仙道と呼ばれている。おばあちゃんの原宿と呼ばれる巣鴨地蔵通りはこの旧中仙道である。巣鴨駅から地蔵通りを真っ直ぐに北上し、都電をまたぎ、明治通りを越えた辺りがこの滝野川という地域になる。更にそのまま北上を続けるとJR板橋駅の横を抜けて板橋区仲宿に至る。その仲宿辺りが中山道一番目の宿(しゅく)であった板橋宿だ。こういった予備知識を入れてから滝野川の町並みを見るとなるほどとうなづける部分が発見できるのではないだろうか。)参考までに以下は滝野川6丁目に残る古い建築物。


北区滝野川の日本家屋


北区滝野川の日本家屋  北区滝野川の日本家屋

※この建物は2010年12月に取り壊され、この世から消滅してしまいました。調べたところ大正初期の建築だったそうです。建物が取り壊されてしまった際の様子も別エントリーにまとめてありますので興味のある方は以下のURLもどうぞ。
消えゆくもの【03】北区滝野川6丁目、旧中仙道沿いの古民家


下のようにわずかではあるが街道筋の面影が残っている建築物もある。


北区滝野川の建物


北区滝野川の建物  北区滝野川の建物


こちらも滝野川に残る素晴らしい建物。建築時期は稲荷湯と同じ頃といった印象を受ける。


区滝野川の日本家屋


区滝野川の日本家屋  区滝野川の日本家屋


また、稲荷湯のしろくまエアコンの上に鎮座しているみみずくタワシだが・・・・


稲荷湯にあるみみずくタワシ


これも滝野川にある『亀の子束子西尾商店』で販売しているものだ。


亀の子束子西尾商店


亀の子束子西尾商店


このように魅力的な光景が残る北区滝野川6丁目だが、なんと現在大きな再開発が進行している真っ只中だ。高さ100メートル近い高層マンションが6丁目にできるのだ。2010年10月現在、現地はこんな状況だ。


滝野川6丁目計画


計画通りに進行すれば来年秋から建設が始まると言う事か。


滝野川6丁目計画現地、2010年10月の様子
滝野川6丁目計画現地、2010年10月の様子。遠くに見える高いビルは池袋のサンシャイン60。


この開発にはもちろん賛成派、反対派それぞれに主張がありどちらの主張も理解することはできる。一個人の意見としては「頼むから稲荷湯への人の流れが変わってしまう様な開発はやめてくれ」という気持ちだ。この開発との関連性は不明だが、同じく滝野川6丁目にあった豆腐屋さんは2010年4月に、同じく6丁目の千葉酒店は2010年8月を持って店を閉めた。


滝野川6丁目にあった豆腐屋さん


滝野川6丁目にあった豆腐屋さん  滝野川6丁目にあった豆腐屋さん


そして下が千葉酒店。


滝野川にあった千葉酒店


滝野川にあった千葉酒店  滝野川にあった千葉酒店


滝野川にあった千葉酒店


ハードディスクを見ていたら過去に千葉酒店が営業されている頃のものが出てきましたので下に貼っておきます。
2010年12月23日追加。


滝野川6丁目千葉酒店



画像によって少しはリアルさが伝わっただろうか。豆腐屋さんの建物はもう既にこの世から無くなってしまった。2010年の北区滝野川6丁目は開発の真っ只中にあるのだ。

稲荷湯が時代に反するようなスタイルのまま営業し続けていることは本当に大変なことなのだと痛感する。是非この地域の雰囲気を含めて滝野川稲荷湯を楽しみたい。

以前のエントリーで書き残している千住とも、十条とも、ましてや目白台とも異なった滝野川気質がそこにはある。バリバリのあつ湯に身を浸し、肌がチリチリする感覚と共に滝野川を楽しんで欲しい。



北区滝野川 稲荷湯






----------------------------------------------------------------------------------------------------


【補足、解説】

※折り上げ
伝統的な日本建築の天井の造りかたのひとつ。詳しくは以前の銭湯エントリー東京湯族(Tokyo 湯 tribe) 【2】北区上十条・久保の湯の文末を参照のこと。

※『滝野川』について
一口に「滝野川」と言ってもその範囲は非常に広く、番地が異なると町の雰囲気も大きく異なります。例えば前述のように稲荷湯のある滝野川6丁目、7丁目周辺は街道筋の影響が見て取れるエリアですが、滝野川2丁目はどちらかというと上中里や田端とのつながりが深い飛鳥山からの影響が大きいエリアです。裏路地マニアな方には滝野川3丁目、4丁目辺りがお奨めです。(3丁目、4丁目周辺は戦前の軍事施設があった場所のため戦後復興時に木造建築が多く建てられました。そういった建物が現在でもわずかに残るのがこの辺りです。)

※『滝野川稲荷湯』という呼称、表記について
今回のエントリーでは「滝野川稲荷湯」というように地名を冠にしてこの稲荷湯の事を呼んだが、これは稲荷湯という銭湯が他にも多数あるため混同を防ぐ狙いでこのような表現を使っている。実際にこのようには呼ばれていない。



にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村

「滝野川という所も面白そうじゃないの」なんて感じてくださった方は是非クリックをお願いします。



  
コメント
稲荷湯は私の青春
1986年4月から約2年間、通わせて頂きました「稲荷湯」.
ケロリンの黄色い桶が木桶になっていますが、テルマエ・ロマエではケロリン桶だったですね。
この稲荷湯には、思い出がいっぱい詰まっています。
当時、170円で湯船にGO!
番台のおじいちゃんが、とても人柄の良い優しい方で、とても癒されました。
詳細レポート、ありがとうございました!
---------- 万三郎 [ 編集] URL . 05/31, 12:36 -----

私は、千葉酒店のはす向かいにあるアパートに住んでいました。
今は物凄くモダンな貸家に建て替えされており、寂しい思いがします。
1986年、稲荷湯、滝野川商店街、つけめん大王・・・龍宮飯店。
滝野川には、思い出が沢山あってたまりません!
---------- 万三郎 [ 編集] URL . 05/31, 12:44 -----

万三郎さん>
コメントをありがとうございます。
滝野川に実際に住んでいらっしゃったのですね!
テルマエロマエではやはり『銭湯』というステレオタイプを分かりやすく
するためか、ケロリン黄色桶になっていましたね。
80年代当時は170円だったのですね。その位の値段だったら本当に
気軽に銭湯通いが出来ますよね。
現在ではやはり利用者数が少なく、料金を上げざるを得ませんもんね。
その時代の銭湯の価値が分かってとても参考になりました。
今では千葉酒店のあったみよの台通りや、6丁目最大のきつね塚通りも、
古くから残存する建物はどんどん消滅し、何の変哲も無い住宅に
生まれ変わっていますよね。過去の『滝野川』に触れたい者にとっては
少々残念な開発の状況になってしまっているように感じます。
きちんと管理保存をしていけば、例えば埼玉県の川越のような街に
なったかもしれないのに…と、個人的には考えてしまうことがあります。
実体験の貴重なコメントに感謝いたします!
---------- 闊歩マン [ 編集] URL . 07/21, 16:23 -----

私は現在温泉も銭湯もない国に住んでいて、毎日ネットで銭湯サーフィンしていおります。偶然にもこちらのブログに出会いましたので何か一言コメントのこさせていただきます。私の地元の埼玉にも同じ名前の古い銭湯がありまして親近感がわきます。残念ながら地元の稲荷湯は富士山の壁画ではないのですが、私の地元埼玉でも銭湯が減っている中での貴重なオアシスなのですねー。帰国するたびに銭湯には欠かさず行っておりまして、東京の銭湯も時間を作っては調べたりしてちょこちょこ行っているのですが、なかなか昔ながらの古い建築の銭湯が見つからないので寂しいものです。最近は石油高なども影響してどんどん姿を消していく銭湯が多く本当に日本の銭湯がんばれ!!!と思いながら暮らしております。北区であれば埼玉からも結構近いのでまた帰国した際には足を運んでみたいなーとこのブログを通して思いました。少しでも銭湯を愛し利用する人々の一員として銭湯存続の貢献ができたらいいなという思いと、やっぱり自分がどうしても煙突探しに行きたい!っていう思いが強いですね(銭湯は煙突を探す段階で既に楽しいですよね)。富士山に向かって歩いていくのは私も想像するだけでシビレてしまいます。滝野川の稲荷湯の歴史を感じながら浸かる日を心待ちにしながら日々過ごしていこうと思います。
---------- 通りすがりの埼玉人 [ 編集] URL . 06/03, 06:27 -----

通りすがりの埼玉人さん>
コメントありがとうございます!
なるほどー!お住まいになっている環境では体験できないとなると
余計にも欲求が強くなってしまうケースもありますよね。
煙突のお話、「ウンウン」とうなづきながら読ませていただきました。
自分の場合、別段銭湯を探しているわけではなく、なにげない住宅地
を気の向くままに歩いている際に視界のすみに煙突を見つけ、
「うわー、これは大発見だ」とひとり大喜びする事がままあります。
おっしゃるとおりいつまでも残って欲しい文化ですよね。
滝野川の稲荷湯さんも今後どうなってゆくのか想像もつきません。
帰国の際には是非体験なさってください。『旧来の』銭湯文化が
そこにはあります。
埼玉人さんの地元が埼玉のどちらなのかは分かりませんが、
東上線の下板橋駅や埼京線の板橋駅からもやや距離はあるものの
徒歩で行けますので!
興味深いコメントをありがとうございました。
---------- 闊歩マン [ 編集] URL . 05/11, 21:00 -----
コメントする









       
トラックバック
トラックバックURL
→http://3pomaniax.blog116.fc2.com/tb.php/99-45beadba
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


     
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。